1999年に生涯を終えた作家三浦綾子の業績を公開している三浦綾子記念文学館を、今年6月旭川の地に訪ねた。 存命中に文学館は建てられ公開されていたので、その展示内容は豊富であった。 これまで作品は全くといって読んだことはなかったが、展示を見ているうちに三浦の真摯な眼差しに感じるものがあり、著作を読む気持ちになってきた。
そこで、前回、身をもって車両の暴走を停めた実話に基づく「塩狩峠」に続いて、今回、「母」を読んだ。 綾子の業績を見ているうちに、この2冊はどうしても読まなければならないと感じたからであった。
「母」は、ご主人である光世氏(文学館長)の強い薦めがあり、構想して10年をかけ、小林多喜二の母親に焦点をあてて書いたものである。
小林多喜二と云えば、戦前の共産主義者、無政府主義者というイメージが浸透し、忌み嫌うべき暗い人物という思考が、戦後も延々と続いているように思う。 しかし、その人となりの真の姿はあまり知られていない。 本書は、秋田弁と云うのであろうか東北訛の口調で、母親が語るように書かれており、秋田や小樽での家族の暮しや兄弟のこと、給与の大半をはたいて弟のためにバイオリンを買ったこと、女郎屋に売られたタミちゃんを救うことなどが書かれている。 その姿は、「優しさ」と「貧乏克服」の二点であろう。 小林多喜二を単に反体制者として見るのではなく、あの時代にあって、「蟹工船」などの著作を残し、生活の苦しさから万民が脱却できればと願った、その真意を理解すべきであろうと思った。
多喜二が暮した、JR線小樽築港駅周辺の今は、大きなホテルやショッピングビルがあって、当時を思い出させるものはない。 小樽駅から坂を下った所に小樽文学館があり、多喜二の生涯を展示はしているが、その意気込みは弱いようにも感じる。
さて、現代の日本を見て、多喜二が願った貧困のない世界になったであろうか。 否、そうではあるまい。 国民に総中流意識を植え付け、「勝つこと」や「金を握ること」を好しとする、「優しさ」や「思いやり」のない社会になりつつあるのは歴然だ。 政治家や代議士、高級官僚がこぞって利権を追い続けて来た結果、巷には金のために身を売り、家族ですら殺めることを厭わない事件が日常茶飯事のように起きている。
その結果、警察権力、軍事権力肥大化の必要性がまことしやかに喧伝され、事実、教育や思想なども含め国民を管理する社会になりつつある。 特高警察に殺された小林多喜二が生きた世界に逆行しつつある、このような現代において、意識ある人々の行動が求められているようにも思う。
ともかく、秋田の寒村に生まれ、文盲で社会のことには全く疎い母親であったけど、子を想う気持ちは誰にも負けず、多喜二もそういう母親の姿に応えていたように思う。 大変感銘を受けた書であった。
本書帯から
構想10年。 三浦文学の集大成
結婚、家族、愛、信仰、そして死---。
明治初め、東北の寒村に生まれた多喜二の母、
セキの波乱に富んだ一生を描く、書下し長編小説。どこの親だって、わが子は可愛い。 わが子ほど可愛いものはない。 命ば代わってやりたいほど可愛いもんだ。 子供に死なれるって、ほんとに身を引きちぎられるように辛いもんだ。 まして多喜二のように死なれては、わが身ば八つ裂きにされたような辛さでねえ。 しばらくは飯も食いたくなかった。 夜も眠られんかった。(本文より)
このような母の想いに触れられるようになったのは、自分がそのような年齢に来たからかもしれない。 「親をうやまい子を大事に思う」、そういう家庭の基本姿勢を日本人は失いかけているようにも思う。
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