お知らせ

お知らせ

*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。





「公共放送」と名乗っているNHKや態勢迎合の低俗局(フジサンケイや読売)、大手新聞社(朝日・毎日)等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

*東京新聞(中日新聞)、日刊現代、信濃毎日新聞、長周新聞などややローカルなメディアから、今の日本をチェックしましょう。



人と防災未来センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*過去に所有したドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄し、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

***掲載した主な画像(写真)の上にカーソルを置きクリックすると拡大されて文字が読みやすくなり、さらにクリックするか当該画像右上のXをクリックすると元のサイズに戻ります***


(間もなく参議院議員選挙がはじまります。)
25年デフレが続いている日本で、自公政権は国民の生活を一顧だにせず、消費税に見られるように搾取を続けています。 彼らは与党政治屋や大手企業経営者の栄華が維持されれば良いと思っているのです。 一般市民が現状をよく見定めて、我々の生活の底上げを真面目にしてくれる政治家を選ぶ必要があります。
自民党、公明党に加え、彼らの補完勢力である、維新、国民、参政党などにも騙されてはなりません。 頼りないですが立憲、共産、社民、れいわ新選組の候補者の中から選びましょう。

2005年1月29日土曜日

ふるさとCM大賞

 長野朝日放送が、ここ数年、長野県内の市町村の手作りCMを募集し大賞を決めている。
 昨年の募集は第4回目で、その映像が「ふるさとCM大賞NAGANO」という番組で1月10日に放送されたが、その総集編を31日から順次放送するとのことである。

 信濃町のは前回に続いて、信濃中学校の生徒さんが作られたもの。 内容はスノーパークから始まって、コスモス、コスモックル、そば子ちゃん、わかさぎくん等と30秒の中に盛り沢山。 最後の映像で生徒さん達が持っていた特産のうち牛乳は分かったのだが、その他は何だろう。 放送を見れば分かるかもしれない。
 放送日は2月7日(月)深夜1時46分から56分の間。

 前回は「ウインタータウン」というタイトルで、一茶に扮した生徒さんが雪の中を駆け抜けるもの。 前々回は町役場の方が作られたもので「シナノマン」というタイトルでこれはなかなか面白い。
 過去の映像はHPからリンクされていないが、サーバには残っていてhttp://www.abn-tv.co.jp/program/cm2004/というアドレスの末尾を3とか2にすれば見ることは可能である。 ただ著作権者の意図に沿った方法ではないし、いつ削除されるかもしれない。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月24日月曜日

今朝はマイナス10度を切った模様

 今朝の外気温は、マイナス12度という予報であった。 計測していないので実際の温度は分からないが、10度を越えるのは珍しいのではないかと思う。
 おかげで午前中は大変いい天気で、しかも平日。 こんな日にゲレンデへ行ったら、さぞかしスキーを楽しめたのではないかと思うとちょっと悔しかった。

朝9時の黒姫山

 百葉箱ほどでなくてもいいから、現在の気温と24時間以内の最低温度、最高温度をHPに掲載できたら黒姫の今を知ることができるのではと思い、ネット検索したら、教材会社でパソコンに接続できる計測機器を販売しているのが分かった。
 でも、安くて5万円強、高いのは数十万円! 秋葉原のジャンク品でシステムを作る方法がないか、もう少し調べたい。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月23日日曜日

観光協会の掲示板に子供のマナーについてクレーム

 「地元のレーシングチームの子供が割り込みをしてきたり、他のお客さんをリフトに乗せないように遮ったりして、マナーがとても悪い」という主旨の掲載が21日に観光協会の掲示板にあった。
 その翌日、「昨シーズンもこの掲示板に同じような投稿があったことを覚えています。」というどなたかのアップ。 しかし、その後関係者の回答はない。

 このチビ・ダンプに加え、リフト関係者の対応の悪さが話題になることはここ数年続いている。 そして、こういうことへの回答が大変遅いか、全くなくて、他の方がフォローしていること、これも同様。 そこが非常に残念。
 加え、状況を掴めない子供達を諭し、注意しない大人である我々にも問題がある。

(1/24追記)
 こういうアップはすごく気がかりなんだけど、今日回答があってホッとした。 でも、総じて考えると営業とか客という前に、大人が子供を育てるとか注意するという認識も我々には少なすぎることが問題だ。
 段階を踏んだ他人へのアプローチの無さとか、方法を知らないというのは、現代人のある種の欠陥なのであろうし、その具体的な現象として老いも若きも”切れる”という事件やトラブルが毎日のように発生している。 そこまで踏み込んで時代を考える必要があろうとも思う。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月21日金曜日

南極越冬隊員と交信(3月13日)

 信濃毎日新聞に、「信濃町の小中学生が越冬隊と交信へ」と題して次の記事が掲載された。
 

 信濃町の小中学生らと南極の昭和基地にいる第46次南極越冬隊員が、通信衛星利用のテレビ電話会議システムを通じて交信する「南極を見に行こう」が3月13日、町総合会館で行われる。 子どもたちに南極観測の技術や南極の生活環境を知ってもらおうと、住民有志15人でつくる「信濃町子ども教室実行委員会」が企画した。(以上、しんまいより)

 Googleで、「南極観測 テレビ電話」などと検索すると昨年同じように実施された交信状況がアサヒ・コムの記事で見ることができる。
 JUNIOR JARE こども南極観測隊南極観測のホームページなども参考になるかもしれない。
 3月13日は日曜日。 総合会館には入ることはできないだろうから、当日のニュースに注意しようと思う。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月17日月曜日

阪神・淡路大震災10周年

 当初は、兵庫南部地震と呼んでいた阪神・淡路大震災が起きて10年が経過した。 あの時、被災状況を伝えるテレビ画面に釘付けになったことを、昨日のように覚えており、あの限られた狭い地域で死者数がどんどん増えていくことに驚愕の思いを感じてた人は多かったと思う。

 これまでも色々な災害があったが、先の大戦後の高度成長経済下で、日本人の心に暗い影を落とした初めての最大の災害であると同時に、ボランティア活動というものを教えてくれた貴重な災害でもあったと思う。
 時々刻々と被害状況が伝わってくる中で、家内は居ても立ってもいられないと、2月初旬、登山用品店に行き軽くて暖かいという寝袋を買って、神戸へ向かったのであった。
 発生後2週間ほど経っていたので救援活動も少しずつ組織化されつつある時ではあったが、未だ寒い中、再建の見通しのない時期でもあった。 家内は得意としていた炊事班に入り、ボランティアの食事の世話をし大いに感謝されたようだった。
(ボランティア活動については、神戸元気村代表であった山田和尚氏が書かれた「いのちの力をつかまえろ」という書物に詳しく記述されている)

 自分が神戸に入ったのは、震災後3ヶ月を経過した時で、大阪から神戸に進む電車から見る光景は、青いシートで覆った民家や、崩れたままのビルが目立ち、長田駅に降り立ってからは、公園の仮設テントや倒れたままの墓石、焼け落ちたクズ鉄など、地震発生時の惨憺たる光景を思い起こさせるに十分なものであった。
 テレビから垂れ流しされた映像はあくまでも架空空間。 老いも若きも多くのボランティアがおられたが、何もできなくてもいい、あの地に立ち被災者と共感することが必要であろうと思った。 あの被災者の悲しい思いは、あの場所に立たないと感じられないからである。

 昨年の中越地震のみならず、三宅島、長崎普賢岳、北海道有珠山、台風による浸水・崩落等々、我々には大きな災害が繰り返されている。
 発生の度に、自衛隊や消防関係など大きな働きをしてくれているのだが、ある程度落ち着くと自己責任とばかり役所は何もしてくれない。 10年を経た現在でも老人の孤独死や精神的に立ち上がれない人々が数多くあると聞く。

 いつも思うのだが、大きな被災に対し国がもっと歳費を投下して援助すべきである。 被災家族を援助するためと無利子の貸付金制度などが設置されるが結局返さなければいけないもの。 被災家族がどうにか自立できるだけの篤い支援を国レベルで行うことを我々はもっと要求すべきでないかと思う。
 と同時にスマトラ沖地震のように、我々は地球規模で我々の生命維持を考えなければいけない時期に来ているのである。 地域紛争に巻き込まれることなく、はたまた災害復旧を自国経済に利用するのではなく、真に地球という生命体を平安のうちに生かす手立てを皆が考えて行く必要があると、地震発生10周年に際し、そんなことを思ったのである。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月16日日曜日

落雪による事故発生

 15日、夕刻のテレビを見て、信濃町熊坂で80歳過ぎの老夫婦が落雪に埋もれ亡くなられたと知った。
 信濃町の熊坂という地名は、平安時代の盗賊「熊坂長範」に由来しているようで、近くに長範山という標高760mほどの山があるし、国道脇に熊坂長範が集めた財宝が地下深く眠っているという「長範の玉石」があり、信濃町の民話の場として知られている場所でもある。
 現在は、野尻湖から新潟県県境にかけては、住民の少ない地域で、関川、赤川ともども生活圏は妙高高原町ではないかと思われる。

 雪の大変さはそこに住んでみないと分からない。 老齢化と過疎化がこのような悲しい事故の遠因になっているのだが、中越地震の被害に遭われた山古志村では雪下ろしのお助け隊が組織されていると聞く。
 信濃町役場のHPに掲載されている、昨年終了した住民参加の町づくりのためのプロジェクトチームの提言をあらためて見直してみた。 元気な高齢者、福祉・介護、ボランティアという項を見たのだが、残念ながら冬場の老齢者対策が何も提言されていない。

 除雪に関し隣近所で助け合うという表現はあるものの、町全体として具体的な対応策がない。 更に老齢化が進む中で住民の好意だけに頼るのは無理があろう。 組織的で具体的な対策が施されないと、このような悲しい事故は再び起こるのではないだろうか。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月14日金曜日

10年前にも大雪が降る

 ここ数日の大雪は、昨日13日の午前中にやっと止んでくれたが、10年前の今日も大雪で大変な思いをしたことがある。

 前日の夜間に、息子と車で黒姫へ向かっていた。
 あの時の上信越道は、須坂が終点で抜け道を使うと危ないであろうと、柳原で18号線に出たのだが、国道は降った雪がとけ、かなりざくざくとして靴では歩けない状態であった。
 雪用タイヤをはいていたのだが、この先が心配と作業の場所として長沼のヤマト運輸の駐車場に無断で車を入れ、チェーンを巻いたのであった。

 その後、牟礼まで無事に走れたのだが、普光寺を過ぎた辺りで渋滞にはまり走行できなくなった。 あとで分かったのだが、ノーマルタイヤで小玉の坂を走行していたトラックが上がりきれずに止まったり、チェーンを巻く作業をしていたため、後続の車が走行できなかったのであった。
 明け方やっと動き出したが、それでも少し動いては止まるという状態を繰り返し、穂波に来た所で仁之倉線に入ることを思いつき、やっと我が家に向かうことができた。

 しかし、町内の主要な道は除雪されていたが我が家がある地域の除雪は今始まったばかりで、ここでもしばらく待つことになった。 地域に入る坂道には腰ほどの高さの雪で遮られ、車ではどうにも進めない状態でブルの作業を見守っていたように憶えている。
 そして、当日のテレビのニュースでは信濃町の大雪情報と交通状況を伝えていたのであった。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月12日水曜日

パン雑感 その3

 昨年9月頃であったかKURAという雑誌に、掲載されていた善光寺近くのパンの店が気になり、先週訪ねてみた。
 店の名前も場所も思い出せず、善光寺近くであろうと七味の店(八幡屋礒五郎)で聞くも、長野駅との間位ではないかと詳しく分からない。 観光に来た県外車らしくウロウロ運転するも行き過ぎてしまい、荷物の配達をされている方に聞いてやっと分かった。 権堂通りの手前でオリンピックの表彰式が行われたセントラルスクウェアという場所の正面であった。

 店をのぞくと定休日なのか閉まっており、階上の美容室の看板だけがいやに目立っていた。 当初の話では市内を中心に25~30ヶ店のパン屋さんのパンが並ぶということであったが、それほど広くない店舗の壁の棚にバスケットが置いてあるのみで、同時に全店のパンが並ぶのではなく、数日おきに交互に置かれるような感じの棚の広さであった。

 「リプロ表参道」とビルの名称は東京並みなのだが、周囲の店舗に溶け込んでしまい、一目見てパンを販売しているとは分かり難い。 鳴り物入りで始まった企画であろうが、販売の規模も小さく、住民の認知度も低く、観光客を引き込むほどでもないとすると、商売として永く続けられるのか人事ながら気になってしまった。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月10日月曜日

北信五岳道路

 昨年12月24日に開通した広域農道「北信五岳道路」を初めて通ってみた。
 信濃町から三水村に下りる所がまだ完成していないが、倉井から立ケ花までまっすぐ走行できるようになっていた。
(立ケ花の蟹沢トンネル手前で18号線方面と分かれる丁字路があるが標識もあり容易に分かる)

 中野から信濃町にかけての上信越道は、一部解消したものの未だに対面走行であり、雪降りの時は怖い思いをすることも、また渋滞することもたまにあったり、あるいは、あまりに遅い車にいらいらすることもある。 そんな時にこの広域農道を使えば信濃町まで真っ直ぐだし、走行車も少ないので都合がいい。

 信濃町からは、長野へ向って右に第一スーパーや大沢洋菓子店、左にガソリンスタンドやコメリがある、新設された信号のある18号線の交差点を左折して、ひたすら直進していけば、だまっても立ヶ花にたどり着く。
 三水からはカーブも少なくて見通しも良いのだが、ずっと下り坂なのでスピードの出しすぎによる事故があるのではと気になった。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月9日日曜日

どんど焼き

どんど

 朝8時半に「どんど焼き」の会場となる畑へスコップを持って下りていった。
 昨秋に作くられた爺婆に両目の入った大小のダルマさんや注連飾り、書初めなどを持ち寄って飾り付けを行うのである。 と云っても我々が出来るのは雪堀りと雪踏みのみであるが、カンジキがないのでずぼずぼと長靴の大きな穴を開けてしまっていた。

どんど

 そして粉雪が舞う夜7時半に点火され、炎が天高く伸びていった。 書初めは竹棒で吊って火にかざし燃えながら高く舞い上がると腕が上がるというのだが、そこまでする子供は今はいない。 逆に火のついてない書初めが風にあおられて飛んでいた。 概ね焼け落ちた熾きに餅をくべ、この餅を食べると風邪を引かないという。 どんどのことを地方によっては左義長とか、三九郎とも云う。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月3日月曜日

やっと快晴の天気になった

黒姫山

 大晦日は、東京でも雪降りになり、高速道路も閉鎖した所が多く、天候が暴走族の初日出陣を阻んでくれたようだった。

 黒姫も元旦まで降り続き、午後から青空が見えるような雰囲気になるも、雲と雪に閉ざされた年の明けであった。 しかし、2日と3日は一番の快晴となり、特に2日の日は一日中雲ひとつない最高の天気であった。

 信濃町役場のページにはこの2日の快晴のもとの黒姫山の映像が掲載されている。

(旧徒然日記から転記)



2005年1月1日土曜日

鶏旦(けいたん)

土鈴

 俳句には季語というものがあるが、元旦のことを鶏日とか鶏旦とも言うらしい。 今年の干支は

 頂いた賀状に「酉」という言葉には”酒”や”醸”など酒にかかわる文字が多いとあり、早速辞書を見てみた。 酢(す)、酸(さん)、酔う、お酌、醸(かも)し出す等、多くが発酵とかかわっているようだ。

 日本古来の発酵食品は、日本人の体質に相応しいのだが、最近は肉食中心の食事が多い。 ”腐(くさ)る”という言葉は体の中に肉が入ると書く。 米を中心とした日本の食文化が大事なことはこのような言葉からも判る。
 酋長の酋(おさ)という字も酉に関係しているようだが、酉年の人はリーダーに適しているのか調べてみたい。

(旧徒然日記から転記)