その冒頭部分を、ここに転記させていただく。
列車は雪野原に出て速度を緩めた。 あと三分で駅に着く。 右手に胚芽を取った米粒の形をした小山が見えてきた。 見慣れた山が、今朝は高山の一角のように鋭く輝いている。
三十分前までの車窓の風景は、東京の郊外で見かける雪降りの日のそれと大して違いはなかった。 畠や空地に僅かに積もった雪が、人と車の猛威を逃れて、辛うじて消え残っている感じであった。 ところが列車が方向を北に転じ、渓谷沿いに峠を登り始めると、突然積り方が変わった。 分水嶺を越すと、関係が逆転した。 こちら側は、雪の方が人間を圧えていた。 道も屋根も畠も森も、あるがままに抑えつくして音もない。 もっとも、雪の中のクリスマスを味わいたくてやって来た私にはこれこそ満足すべき状態で、こうでなくては困るわけだった。
岡野薫子さんの 「森のネズミの山荘便り」 の冒頭にも同じような思いがつづられているが、列車が長野駅を出発し、田園風景を経て豊野辺りを過ぎると少しずつ山間を上り始める。 そして、牟礼駅を過ぎて積もった雪を車窓から目にすると、黒姫はもう間もなくだと何とはなしにソワソワ、ワクワクしてきて、昔、映画「雪国」の撮影に使われたという戸草トンネルを抜けると、辺り一面の銀世界が突如現われ、その想いが極地に達した所で、「間もなく黒姫~黒姫~」という列車アナウンスが聞こえて来るのである。 その情景は冬でなければならず、春や夏では駄目なのだ。
あの時の感慨は、黒姫へ通う者にしか感じられないものであろうと思う。 「米粒の形をした小山」は、古間駅近くの薬師岳をいうのか、それとも伝道所の裏手にある伊勢見山を云っているのであろうか。 便利な高速道路が出来てしまった昨今では、あのような感慨に浸るようなことはもうない。
さて、「バルトと蕎麦の花」では、作者が、このようにして信濃村伝道所でのクリスマス礼拝に出席するため、黒姫へやってくる所から始まり、教会堂で説教をされているK牧師へと話題が変わって行くのである。 そして、K牧師の幼少の頃の話、青年の頃の様子などから、K牧師の人となりをありのままに写していくのである。
お父上が農業のかたわら短歌を詠まれたと、父上やK牧師のその歌が、文節の間に散りばめられている。
残念ながら、私自身短歌に対する理解は全くなく、その詠み手の想いを知ることはできないのだが、読み終えた時に感じたことは、この短編は、20年近く信濃村伝道所に赴任されていたK牧師への「賛歌」そのものではないかということであった。
短編のタイトルの由来は、K牧師が、20世紀に於けるプロテスタント界の思潮を決めた一人とされるカール・バルトの影響を大きく受けていたことと、伝道所の周りに蕎麦が植えられていたことによるものらしい。
カール・バルトの危機神学がどういうものであるのか理解できていないのだが、教条的なそれまでの教えでは、近代文明下の民衆には理解されないというか、キリスト教そのものが衰退すると、危機感を募らせたものであろうと、一方的に判断してみた。
南米カトリック教会には、「解放の神学」を唱える聖職者や団体がある。 貧困からの脱却など社会正義の確立を目指そうとするものらしいが、以前、カトリックの神父がプロレスラーになってファイトマネーで貧困者を助けているというニュースに接したことがある。 方法は色々あるだろうが、やはり旧来の教義に凝り固まった世界では何の進歩はない。 平和で安然とした生活が地球上の人々に等しく与えられるよう、願い行動するのが宗教であり、ひいては政治でもあろうと思う。
今まで一度だけ伺ったことのある信濃村伝道所のクリスマス礼拝で、K牧師の説教は聞いているのだが、非常に朴訥だが、心に秘めた篤い思いを持つ方だと感じていた。 この短編を読んで、その感じが一層強いものとなったわけだが、伝道所在任中は、野尻湖の違法観光船問題などにかかわり、伝道所を留守にすることが多いと、教会員からの不満があったそうだ。 牧師といえども、教会員のみならず、地域社会との共存、共生を考える必要はあろうし、豊かな野尻湖や黒姫の自然と、平穏な暮らしを、住民とともに求めようとしたのは至極当然の動きであったろう。
この短編を読んで、もう一度K牧師に会ってみたい気にもなったが、現実的なことが見えて来ない、心の中だけの想いに留めていた方が良いかもしれない。 もう一度、一行一行をかみ締めながら、この短編「バルトと蕎麦の花」を読み直してみたいと思っている。
2 件のコメント:
ブログのコメント、ありがとうございました。
黒姫山登山の様子を、興味深く読ませていただきました。紅葉、頂上付近のトレイルであろうと思われる画像は、アメリカのメイン、ニューハンプシャー州とか、アパラチアントレイルの終点あたりと似ているような気がします。
また、「バルトと蕎麦の花」では、懐かしい名に接しました。40年前、神学校に席をおいていましたが、組織神学のバルト、聖書学のブルトマンの影響は深く感じました。ブルトマンの弟子であったケーズマンの講義をチュービンゲンまで聞きにでかけたこともありました。「現実的なことが見えて来ない、心の中だけの想いに留めていた方が良いかもしれない」とお書きになっていましたが、私には、イスラエル聖地とか 聖パウロの足跡をたどるというような巡礼の意欲が出てきません。やはり、「心の中だけの想いに留めて」おきたいという心境です。
多分、ご存知と思いますが、NHKがやっている 「街道てくてく旅」http://www.nhk.or.jp/tekuteku/index.html で中山道歩行が進行中で、丁度、今週、馬篭、妻篭あたりを通過しています。時時、みています。その他、いろいろの街道歩きの様子が伺えます。JRのさわやか歩きとか、ウオーキングもPRの波に乗っているようですね。
ルピュイルートでは、カミノフランセのレオンまでにあるような、宗教的なアルベルゲの雰囲気には出会いませんでした。一般に、宿の管理人にはオスピタレロの感じはなかったように思います。例外は、エスタンの教会付属ジット、コンク修道教会、フィギィアック修尼院ぐらいでした。私の場合、とても相性の歩き仲間ができて、楽しい旅でした。旅は道連れといいますが、道連れ如何で印象が違ってきます。
わざわざ、こちらまでお越していただき有難うございます。 と云っても、インターネットの世界ですと、地球半周以上の距離も全く関係ないですネ!
家内は、昔、牧師の家庭に下宿していたし、カトリックの寮にいたこともあって、どちらの世界にもあまり違和感を持っていません。 私の同級生の中にも、神学校へ行ったけど楽器製作に方向を変えた人はいるし、一時、成田闘争に情熱を燃やしたけど今は静かに聖職についている人もいます。 会社員と同じで、教会という世界のヒエラルキーに上昇志向を持っている人もいれば、市井の人々との関わりを持たずに隠遁生活に入っている人もいます。 人間の組織である以上、同じような情態はどこにも見られるのでしょう。
NHKの衛星放送はそちらでも見られるのですね。 我々がカミーノを歩いている時には、旧東海道歩きを放送していましたが、今は中山道をやっていますね。 三条(草津)から始まって、今週は妻籠辺りですか。
街道歩きは、仰られるように、どんな人々と関われるかによって、確かに印象が違いますね。 先のカミーノでも、マックさんやジョウコウさんに出会ったし、デンマークのカミーラ、カナダのフレッド等数々の笑顔が今でも思い出されます。
旧東海道でも、蝉丸で丹精込めてアジサイの世話をされていたおばあさんや、甲州街道では、参道脇で握り飯を食べていたら、わざわざお茶を持ってきてくれたおばあさんなど、数少ないですけど、触れ合いの思い出がありました。
今年カミーノを体験したことで、少しは心に余裕ができましたので、来年のフランスでは関わりということと、楽しむことにポイントを当てて歩こうと家内と話しています。 ウルトレーヤ!
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