今月に入って信濃町では町民スポーツフェスティバルが開かれていました。 以前は町民運動会と呼ばれ体力増進や運動を目的としたイベントが開かれていましたが、高齢化が進んだためでしょうか各地区からの出場が難しくなり、現在は遊びの要素を取り入れた行事になっているようです。 たぶん来週末には秋祭りが催されることでしょう。 だんだん秋の装いが感じられる黒姫になっていることと思います。
それにしても今日は暑いですね。 夏に戻った感じで、常住場所の部屋の温度は33度。 黒姫の窓辺に置いた温度計は28?9度を示していますので、4?5度ほど低いことになります。 この所の天気は良さそうだし、やっぱり黒姫は爽やかな気候でしのぎやすいようです。
さて夏の黒姫を離れ常住場所に戻ってから、過日記した「泥流地帯の旅」に参加すべく北海道へ行って来ました。 初日は三浦綾子さんの小説の地を先に訪ねておこうとレンタカーを借りて、上富良野、旭川、塩狩峠をめぐりました。 三浦綾子さんの小説「泥流地帯」は、大正15年に起きた十勝岳噴火による泥流で被災した開拓民の姿を写し、その続編では再生復興に向けた人々を追っています。 当時の被害状況を克明に精査し、実在した人々と架空の人物とを取り混ぜて、小説は虚構の世界ではなく、往時の実態を克明に表しているものと思えます。
小説にも出てきますが、上富良野の復興に向けて奔走された吉田貞次郎村長の住まいが移築され、現在は上富良野開拓記念館として公開されている場所を最初に見学しました。 しかし記念館は常時開館ではなく限られた日に開いているようです。 駐車場脇には神社があり、その鳥居の横に三浦綾子さんの「泥流地帯」の大きな碑が置かれてありました。
こちら「美瑛町360日」のブログに、開拓記念館のパノラマ映像(2008/7/22付・上富良野町開拓記念館)が残されています。(要QuickTime)
次に訪ねたのが、上富良野町の郷土館。 生活用具や土石流被害の様子などを展示していました。 上富良野町役場サイトの中に「郷土をさぐる」というページがあり、ここには上富良野百年史と題して、開拓や泥流被災、復興への姿などを町民の方が記した記事がたくさん残されております。 三浦さんも何回か投稿されているようで、小説「泥流地帯」と合わせこのページを見ると、当時の様子がよく分かると思います。
富良野町から237号線を戻って旭川の町へ。 ラベンダーの花はとうに時期を終えて、幾重にも茶色の畑が続き、それでも時おり赤や黄色の花模様が見えていました。
三浦綾子記念文学館と「氷点」の舞台となった見本林を散策してから塩狩峠へ移動。 ここは小説「塩狩峠」のモデルとなった長野政雄さんが明治42年に実際に暴走し客車を止めるべく身を投げ出した場所なのです。 現在も宗谷本線の塩狩駅がありますが、周囲には三浦綾子さんの旧宅である塩狩峠記念館以外にはあまり目立った建物は無いようです。
塩狩峠記念館は和寒町役場の施設のようで、三浦商店の店先の様子や「氷点」を執筆された部屋がそのまま残されており、周囲には散策にふさわしい林があり、所々に三浦さんの歌を記した石が置かれています。 この地域では春先になると桜の花が咲き、さくらノロッコ号が走るようです。
また、2月末の極寒の日には、犠牲となった長野政雄さんを弔うイベントが石碑の前であるようです。
泥流地帯の碑 | 上富良野町開拓記念館 |
上富良野町郷土館 | 三浦綾子記念文学館 |
見本林 | 見本林にて |
塩狩峠記念館 | 歌碑の森 |
塩狩駅を通過する列車 | 塩狩峠記念館 |
二日目は、当初の目的の「泥流地帯の旅」でしたが、台風12号に伴う低気圧の影響で時折大雨が降り、あちこちの川は溢れんばかりの泥流状態で、十勝岳噴火による泥流はこれの何十倍か何百倍かのすごいものであったであろうと伺わせるものが有りました。
メインは、開拓記念館で、当時復興に奔走された吉田貞次郎村長の娘さんテイさんのお話をうかがうものでした。 齢92だそうで、現在は施設で居住されており、体が弱っておられるのか、話される言葉がか細く、十分に聞くことが出来ませんでした。 それでも被災した日は今日のように雨がしとしと降る日で、泥流に流されたものの出入りの左官屋さんが助けてくれタンスのようなものに乗せられ、テイさんの無事を見た父親の笑顔が嬉しかったと仰っていました。 父親の貞次郎さんは実に優しく叱られたことがなかった由。 貞次郎さんは昭和10年頃の村長選挙で負け、その後は農業関連の役職についたり国会議員にもなっていたようですが、敗戦で公職追放となり昭和23年頃に亡くなっているようです。 吉田貞次郎さんのように、昔の政治家は実に誠実で偉かったと思わせるものがあり、それに比べ現代の政治家の貧しさといったら実に言いようが有りません。
吉田貞次郎さんのことは、上富良野町の「郷土をさぐる」に色々な方が記されています。
大雨のため当初の予定がだいぶ割愛されてしまった旅でしたが、娘さんのテイさんの話を聞けたこと、そして、記念文学館の特別研究員である森下先生のお話を聞き、三浦さんの「泥流地帯」の「泥流」という言葉には「苦難」が人を磨くという意味が込められており、結果、拓一や耕作という人間を思う兄弟を作り上げたという解説に納得するものがありました。 確かに東北大震災のような未曾有の被害はない方がいいです。 でも「苦難」や「苦渋」から立ち上がる体力も智恵も人間には備わっているわけで、被災に埋没してしまったら人間としての由縁も存在も無いということになります。
三浦光世館長の説明を聞く | 二階展示場に通じる階段にて |
雨に濡れる見本林の標識 | 開拓記念館にて吉田村長の娘テイさんのお話を聞く |
テイさんと光世館長 | 土砂降りの中、開拓記念館をあとにしました |
小さな泥流が川などで見られました | 十勝岳被災記念碑 |
「氷点」の舞台になった喫茶ちろる | ちろるの中庭 |
大雨のため一部道路が閉鎖された所もあり、訪ねようとした拓真館に通じる道も水浸しで早々に旭川に戻りましたが、最後には恒例のクイズがあり、光世館長からの色々なプレゼントがクイズ参加者に配布され、私も偶然にも阿南滋子著「神様への手紙」をいただくことが出来ました。
今回、三浦さんの著作に由縁のある旭川市内の場所を訪ねたいと思っていたのですが、雨降りのため、旭川市役所近くにある六条教会と喫茶ちろるのみしか訪ねられませんでした。 喫茶ちろるは「氷点」に出てくる喫茶店で、70年続いていたのですが店主が体をこわし、この5月に閉店していました。 しかし、譲り受けた別の方が営業を再開したとかで、我々は開店二日目に入ったようでした。 内装はほとんど変えていないとのことで、古色蒼然とした広くて落ち着いた店内になっています。 奥の窓辺には中庭が見えて、なかなか良い雰囲気で、コーヒーの味も大変美味しかった。 ただ残念なことに、全テーブルに灰皿が置かれ、禁煙分煙の思考はないようで、タバコの煙が嫌いな者にとっては、あまり混まない時間帯を選ぶ必要がありそうでした。
三日目は、優佳良織の工芸館を訪ねましたが、かなり値段の張るものばかりで、我々にはちょっと縁がない感じで、再び三浦綾子記念文学館へむかい、夕方まで資料や映像などを見て、夜遅い飛行機で帰って来ました。
なお、三浦綾子記念文学館では、今月から来月にかけて色々なイベントを企画しているようで、今月下旬には、戦前に特高警察に殺された小林多喜二の「母」を主題にしたイベントが小樽で開かれます。 どうしても参加しようと帰宅してから、飛行機の切符などを手配したのですが、直前のことで、しかも連休にかかるとかで、我々が思っている旅費の倍以上の費用がかかるようなので、仕方なく次回は諦めることにしました。
3 件のコメント:
町民運動会、無くなったのですね。高齢化という言葉に少し寂しさを感じてしまいました。そうですよね。
22日の夜宮、私の実家はお祭りになります。
富濃の諏訪神社です。
横浜に嫁いだ今はにぎやかで露店が立ち並ぶ大きなお祭りにも慣れて来ましたが、私はやはり情緒溢れる地元のお祭りが恋しいですね。
嬉しい事に都会育ちの子供達も田舎の祭りを大好きでいてくれて帰れる時はいつも帰省していますが、今年は難しそうです‥。
機会があれば、男獅子の写真を掲載して頂けたら嬉しいです。
ここ数年、7?8月に黒姫で比較的長く暮らすことが多くなったため、何となく9月は常住場所に戻り、したがってお祭りを見る機会が少なくなりました。
��0年前は神楽の組立を手伝い、神楽引きもしていたのですが、だんだん年配者が少なくなり若者の時代となって出番はなくなりました。
古間神社での奉納舞が終わって、神社の坂を下る時が一番大変でした。 皆、酒が入っているし奉納が終わってしまうと気が抜けてしまうんですね。
そうでしたか。
無茶なお願いをしました。すみません。
神楽引きをされていたのですね。古間神社の坂はきついですよね!
田舎のお祭りはお酒お酒でみんな出来上がっていますものね。笑
コメントを投稿