昨日の信濃毎日新聞サイトに、「信濃町、韓国の大学と協定 『癒しの森事業』で連携」という記事が載っていました。
私自身は「癒し」という言葉に大変な抵抗感があり、しかも町の事業についての知識もありません。 従って、何も発する言葉がないのですが、隣国である韓国の若者と色々な形で交流することは歓迎したいと思います。 ただ、韓国へ行きどこの街でもぐるっと見回すと十字架がついた建物が見え、仏教寺院も多く、殆どのお坊さんは独身のようで、日本の所謂生臭坊主のような人は皆無です。 大変信心深いというか宗教的な国民性で、勤行の際の五体投地も本格的なものです。(私は1・2度で降参) 国民の9割以上が教会か寺に属していると以前聞きました。 加え、教会や寺院が中心となって地域の経済活動や教育を率先して指導して行く姿も見られます。
それらに対し日本人の宗教観というのは、「何でもあり」というか、産まれた時は神社、結婚はキリスト教会、葬式は寺というふうに節操がなく、初詣にしてもご利益願いで、本来の信仰とはかなり異なる存在のように思えます。 日本のキリスト教信者は人口の5%にも満たないでしょうし、お寺の檀家制度はあっても家族全員が寺の宗派を信じているわけでもないでしょう。
この韓国との連携をただ単に観光の一事業として考えるのではなく、そういった文化の違いを知った上で、相互交流が図られれば大変意味のある事業になると思われます。 その際に、過去の戦争で日本軍が朝鮮半島を翻弄させた事実を認めなければなりません。 日本の占領が朝鮮王朝時代を終焉させたという意義はあったかもしれません。 1950年に朝鮮半島では再び戦争が始まったわけですが、その戦いの前には内乱(混乱)状態にありパルチザンなど同じ国民同士の殺戮も頻繁に行われ、韓国人の死体が対馬までしばしば流れ付いたとも言われていました。 歴史にいい悪いを求めるのはナンセンスであり、ただ必要なことは歴史上の事実を認めることでしょう。 対朝鮮半島に対して日本が行なった過去の事実を認めようとしない勢力が日本の中に存在していることが気になります。 どちらの国民が優れているとか劣っているとかで判断することは実に無意味で人間としてあるまじき行為だと思うからです。
さて、この記事から想像すると、これから韓国の若者が信濃町にやって来るということでしょうが、韓国人は老若男女ともとにかく街歩きも山歩きも大好きです。 ソウル市内などにはウォーキング(ランニング)用の専用道があって、トボトボではなくしっかりとした姿勢で歩いている人たちがたくさん見られます。 女性は日焼けしないようにサンバイザーを被り長袖を来て肌を露出させないスタイルです。 サングラスやマスクをして全く顔を隠してしまっている人もいます。
ソウル市内の南山は260mほどのそう高くない山で、休日ともなれば相当数の人が登り下りしています。 また以前、慶州の南山に登った時は、大きなブルトーザーで作ったような広い登山道を家族や女性グループなどが次から次へと登っている姿を見ました。 そしてお喋り好きで賑やかです。
山登りは服装からというのは韓国も日本と同様でかなり決まったスタイルをしており、日本だとモンベルの他はコールマンやミレー、コロンビアなど海外ブランドが好まれますが、韓国ではラフーマというブランドが有名のようです。 ソウルにもユニクロが出店していますが、やはり韓国人に合わせたカラフルなものが多く、しかも廉価品はほとんどありません。 ブランド品になっているのでしょう、我々が買えるものではありませんでした。 でも、日本にはないものがあって、見るのは結構楽しいものでした。
所謂児童公園を韓国で見た記憶がありません。
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