昨日に続いて新聞の古い切抜きを見つけた。 1993年10月2日付朝日新聞(夕)の記事で、「18億円を脱税の疑い 野尻湖の観光業者を逮捕」という表題のものであった。
あの頃は、野尻湖の桟橋条例に違反した大型遊覧船を就航させようとする計画や、これに対し町民全体の問題として野尻湖をとらえ動かれた方々の話ばかりが聞こえてきて、この記事はあまり大きな話題にならなかったようだ。 だが、今思うと、どちらも企業や人物的にも一脈通ずる所があるように感じられる。
遊覧船問題は、本末転倒なのだが、違反した大型船に合わせた条例に変更することで、結局業者のゴリ押しが通じたような形で決着し、今や町民の間でも既に忘れ去られ過去のものになっている。
18億円を脱税の疑い 野尻湖の観光業者を逮捕 (朝日新聞1993年10月2日から)
さて、昨年11月の選挙で、信濃町の町長は新任の方に代わったが、その選挙に先立って、当ブログに、「立候補者二人の政策意図が不明、どちらになっても良くならないのでは」というようなコメントをされた方がいた。
その後、旧来の町民の方や移り住んだ町民らと町政について話したが、こんな小さな町でありながら、権益獲得にやくざ紛いの動きが見られると知った。 前段の新聞記事は、売上を計上せず、引いては課税逃れをしたものだというが、そもそも野尻湖を餌に商売をするという緒に戻って考えてみたい。 つまり、一企業や一個人の利益のために、信濃町の自然環境を利用してほしくないし、町全体の総意の中で一定の考慮がされた商取引であってほしいと思う。 身勝手な商行為の蔓延を許したら、野尻湖はハイエナに食い荒らされた屍になろうし、信濃町全体も旧来のまま変貌を期待することはできない。
野尻湖の北や東地区は、YWCAなど教会関係や学校関連の所有となっており、また国際村などもあって、第三者の所有による乱開発の心配はないのだが、この記事の現場であろうか、南側から東大の寮があった辺りは、今後どう変わって行くか気になる。
先日、国際村湖畔から旧三菱銀行寮の間に目新しい建物がいくつか建っているのに気がついた。 現在の不動産所有者に問うことはできず、早くから町が野尻湖のあるべき姿を描き、早い段階で一定の枠にはめ、行政指導をしていれば、かかる事件のような商売の具(愚)として利用されなかったはずだし、野尻湖の全体像を考えた湖畔の開発や土地利用ができたはずだ。
これまで末梢的なことに囚われ、ビジョンを持たないで来た所に大きな落とし穴があるようにも感じる。
この正月に善光寺詣に出かけた。 長野駅から善光寺までの道を歩きながら、商店などを見ている中で、正月だという華やかさや活気が全く感じられなかった。 長野市内に勤める方から賀状を頂いたが、駅近くに勤務されている営業所を近く閉鎖するようなことが書かれていた。
信濃町ばかりでなく、県庁所在地である長野市でも、そごうデパートやダイエーの閉店から始まり、地盤沈下が一層加速されているようにも感じる。
脇にそれてしまうが、使途不明金が解明されないままの長野オリンピックは誰のためであったろうか。 あの時の借財は今も県民の肩に押し被っているであろう。
飯山市などは、北陸新幹線の延伸開業に観光客流入の期待を寄せているようだが、便利になれば泊まらないで通過するだけの観光客はそれほど金を地元に落とさない。 このように信濃町だけではなく、地域の過疎化や沈滞化は、長野県北部全体の問題としても捉えられる。
しかし、栄村のように頑張っている寒村もあるわけで、ここはやはり、村民や町民一人一人が自己の利益に邁進するのではなく、地域全体の存亡にかかっているという意識を持って、行政や地域経済のことを考えないといけないと思う。 10数年前の新聞記事にあったような、このような事件を再び起こさせるような行政ではあってはならないことを、新任の町長に期待したい。
新あさま世代10 新幹線待ちわびる飯山 2007年01月15日
長野市の北部、中野市から飯山市に向かって高架橋の建設が進む。97年10月に長野まで開業した北陸新幹線。8年後の2014年度末までには、新潟県上越市に抜けて金沢駅まで伸びる予定になっている。
長野―糸魚川間は98年3月の着工以来、約64%で用地の買収が終わり、トンネル区間の工事の進捗(しん・ちょく)率は約75%。「全体として順調で、予定通り」(鉄道・運輸機構)という。
飯山市で昨秋、あるうわさが広がった。「開業が2年早まるらしい」というのだ。
「線路の消雪用水の工事が予定より早い」や「国会議員から聞いた」など、いろんな情報が商店街や市役所を飛び交った。
「うわさは、飯山市民の焦りを映しているのではないか」。店の軒からひさしが突き出す「雁木(がん・ぎ)」が雪国らしい風情を醸す本町商店街。明治から4代続く眼鏡店を経営する池川汪(ひろし)さん(62)はそう見る。
焦りの原因は人口減だ。昨年末の2万5362人は、10年前と比べて1割以上少ない。この3年間の減少数は262人、337人、463人と加速する。少子高齢化による自然減に加え、昨冬の豪雪は、お年寄りが都会の子どもの元へ転出する動きに拍車をかけたとされる。
本町商店街も10年前から10店ほど減り、現在は約50店。閉店すると、雪下ろしもできなくなるので建物を取り壊す。シャッター街どころか、歯抜けのように空き地が点在する。
「8年後、開業の効果を生かす体力が街に残っているかどうか」。本町商店街近くで4代続く菓子店経営の平野信一さん(47)は、それを心配する。
◇
96年12月25日、飯山市役所に「祝・フル規格着工決定」の垂れ幕が掲げられ、職員たちが庁舎前で万歳を繰り返した。
当時市長だった小山邦武さん(71)は、知事や副知事と東京の首相官邸にはりつき、整備新幹線の着工順位をめぐる政府と与党の折衝を見守った。状況が好転した時、池田典隆・副知事(当時)と固い握手を交わした手のしびれは忘れられない。
90年から3期12年務めた小山さんは「無傷の自然、『日本のふるさと』といえる原風景を守り、新幹線が運んでくる人たちを魅了する」という方針を立てた。「幸い、斑尾山など北信五岳の山肌に、土砂採取や大規模林道の傷跡がない。これを大事にしようということです」
93年に「沿道景観維持に関する指導要綱」をつくった。国道沿いのコンビニ店の看板を軒より低くしたほか、道ばたの商業用看板を高さ5メートル以下に抑え、表示面積に制限をかけた。
一方、自然をより楽しんでもらえるよう、鍋倉山に97年、6ヘクタールの「なべくら高原・森の家」を整備した。飯山市から栄村まで約80キロ続くトレッキングルート「信越トレイル」の拠点。昨春、林野庁の森林セラピー(療法)基地の認定を受けた。
新潟を含めた周辺自治体も、スキーや温泉に頼る観光から、自然や風景を楽しむ「グリーンツーリズム」に幅を広げることで足並みがそろいつつある。
「人口減を心配するより、新幹線で都会から訪れる長期滞在者を増やすことの方が現実的」と小山さんは考える。
昨年11月の市長選で無投票当選した石田正人市長(73)は、新幹線が人口減に歯止めをかけてくれると期待する。通勤圏が広がれば、市外に転居する必要がなくなるという理屈だ。「人口減を止めなければ、街の衰退も止まらないのです」
石田市長は、飯山駅から志賀高原と新潟・妙高を結ぶ道路を整備し、観光客を経由させる構想を柱に据える。
どうすれば新幹線の恩恵を受けられるか。開業を待ちわびる多くの地方都市で、同じ模索が続いている。(渡辺圭司) アサヒコム - マイタウン長野より
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