昨日、「詩信・夢のようでも」のことを書いたら、手元にあると言われ早速読んだ。 社会的なこと、時事的なことも題材とされているので、はじめはやや面食らった。 でも、実にそうだと合点する所が多い。 人間としてこの世に生まれてきたのだから、心を通わせ慮る気持ちだけは忘れたくない。 | |
この詩篇の巻頭には、友人の版画家が描かれた作品が織り込みで綴じられている。
作品の複写にならないようスキャンしたものを小さな画像にしてみた。
「夢のようでも」と題された詩の間に、新津さんと奥様を中心に配置したのであろうか、地球上の全ての生きとし生けるものと、一緒に生きて行きたいという新津さんの思いを具現化したような図案が構成されている。
目次の一部を画像にしてみた。 この目次を見るだけでも、新津さんの視点がどこに向いていたのかが分かる。
なお、本書は私費出版の形をとっているようで、出版元として表示された「千の夢山荘」は、艱難の末山間に住まわれたご自宅の名である。
数ある作品の中で特に心に残った2点をここに残してみた。 共に大事なことだと思う。
遺骨者名簿
七月に入って県庁脇の掲示板に
広島は九百十四柱 長崎は百一一十九柱の
遺族を探す遺骨名簿が張り出された
あ行には東英雄さん わ行には和平カツ子さん
〈安国酒店の伝票あり〉〈町内会八組〉(1歳〉と
わずかな手掛かりが括弧書きされている
氏名が特定できない人も十七人いるが
判明しながら遺族が見付かつていない人が多い
海辺の町でも山奥の村でもこうして
入札公示や田家試験合格者と並べられて
掲示板には名前が画鋲で止められているのだろう
来年も市の原爆被爆対策部調査課は名簿を作る
ところで私は今年も平和行進の列に加わって
ひまわり公園から犀川にかかる橋まで歩いた
〈自衛隊合憲〉〈君が代・目の丸是認〉と続いていても
道行く人は〈今年は暑いですね〉と言い合っていた
四十九年目になって何の関心も示さない人々を見ていると
もう戦争はないのかもしれない
が今年が冷夏なのか猛暑なのか誰もわからなかったように
一夜明けたら戦争があるのかもしれない
天気予報のような不確かなことになっていると知って
私の身の兜が震えた
新しい世紀へ
この世紀にこの国で
おとこたちは一枚の葉書で召集され
ひとがひとを殺す場にいったきり
帰ってこなかった
おんなたちの寄宿舎には南京錠がかけられ
ホットベッドで土のように眠るしかなかった
ふるさとは夢のなかだった
この世紀も終る頃この国で
おとこたちは朝になれば
首を紐で括ってカイシャヘでかけていったきり
真夜中まで帰ってこなかった
おんなたちがもてはやされたのは若いときだけ
パートと呼ばれ
おとこの半分の賃金で働くしかなかった
おとこもおんなも滅私奉公の末に
一片の通告で職を失った
百年かかって
胸の襞にひっかかっているもの
瞳の奥に蓄えつづけてきたもの
陽のあたる場に寄せ集めようではないか
どれほどのやさしさと
とてつもない勇気が要るとしても
この時代にこの星で生きる
きみとぼくの存在の証しを立てようではないか
注)*ホットベッド=長時間・交替勤務労働のため、寄宿舎に布団は二人に一組しかなく、常にぬくもりの或る寝具
0 件のコメント:
コメントを投稿