信濃町インター脇の道の駅「天望館」では、「黒姫さま」と題した木造のマスコットを販売している。 写真で見るように大変可愛いらしく描かれており、机上での一時の慰めにもなりそうな一品だ。
由来の「黒姫さま」という中野に居城があったお姫さまのことは民話「黒姫伝説(黒姫伝説と七つ池)」に詳しく描かれており、信濃町の民話として出版もされているが、こちらのペンションのサイトで見ることが出来る。
因みに、七つ池とは、黒姫山に隣接する小黒姫(本来の黒姫山で、外輪山の方が高くなってしまったので主客転倒し、小黒姫と呼ばれるようになった由)との間にある、笹におおわれた花園のような場所に散在する七つの小さな池のこと。 サンショウウオが生息している。)
しかし、民話はいわゆる昔話で、それだけで終わってしまう。 今からそれほど遠くない近世に、黒姫山を舞台にした山窩民族の生き様を描いた「鳴けない山鳥の詩(うた)」という書籍が天望館で販売されている。
本書の帯には、
文明が大河となって流れ出した明治期、山岳信仰の名残の中で、世から隔絶したように奥山に実在した森の学校。 山娘「サチ」は、大自然から得た哲学をもとに、人間教育への闘いを始めた---。とある。
「自然との共生とは何か」、「真の教育とは何か」を、卓越した自然観で現代に問う
これこそ、現代の信濃町が生きる術というか、指針ではないかと思う。
明治期の黒姫山中には、山岳信仰の天台思想を心の支えとし、自然の織りなす四季折々や全ての自然物を"いのち"あるものとして受け止め、木地師、きこり、炭焼きだけで森の民として生業(なりわい)を立てていた30人ほどの人々が住んでいた。
村人達が貯めていた"熊の胃"を出し合って作った黒姫小学校、
帝大を出たばかりの有望な将来をなげうって杣人(そまびと)の子供達の教育に情熱を注いだヒコサ先生、
サチの教育に身を注いだガンジー、
黒姫尋常小学校の教師を夢見て一所懸命に勉学に励んだサチ、
しかし部落出であるがゆえに体制に迎合出来ずに自らの夢を放棄して関山村の一遇で尼僧として一生を過ごしたらしいという結末である。
ここには、サチが住む黒姫山を中心とした壮大なドラマが描かれており、自然信仰という現代にも通用する内容となている。 本書が示唆する内容から色々なテーマが出てくると思う。 信濃町の観光事業の指針にもなろう。
黒姫の将来を形作る、大きな一冊であると思うのだが、、、、
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