もうとっくに春になったと思っていたら、今日は再び冬に逆戻りの天気ですね。 これだから雪国の気候には気をつけないといけない。 雪の無い乾燥路に慣れてしまった方が事故に遭われないよう願う。
さて、黒姫和漢薬の狩野誠さんが講演で話された内容を収録した「雑草の詩(うた)」という小冊子を読むことができた。 平成の時代に代わった頃、名古屋の異業種交流勉強会で狩野さんがお話しをされ、その講演録を纏めて平成4年に出版物とされたものらしい。
これを読むと、戦後、狩野さんが黒姫で分教場を開かれ、子供達と生活を共にし、食べる物のない時代にお茶を作り、「うめぇー茶だ」という子供の言葉が転じて「えんめい茶」と名づけた由。 お金がなく長野駅で易の仕事をされたとか、お茶を作る過程で生じたカスに引火して工場が火災になったとか、話題は多い。
中で、色々な方々の助けがあったことも書かれているが、何しろ、その行動力はすざましい。 開墾者への補助政策を廃止する案が検討された時には、農林大臣に直談判に行き、限られた時間内に数字などで示すも、大臣の十分な了解が得られず、最後に開墾者の黒く曲がった手を見せられた時、その場は静寂に包まれ農民の思いが一瞬にして伝わったとのこと。
不要な紙を見つけては延ばして、裏の白い部分に線を引いて書き綴った日記帳をもとに「開拓農民」という本を出版される時には、武者小路実篤さんの巻頭言が欲しいと、これも知恵を働かせて得たらしい。 本書は、昭和33年の出版だからもう見ることは出来ないであろう。
「延命茶」という名では許可が下りないと奔走されたり、リュックにえんめい茶を入れて東京に営業にでたとか、そのお話は武勇伝に近いかもしれない。
雑草などに対する知識も豊富だが、何より森羅万象というか地球上のあらゆる物に対する優しさを持っておられたように思うし、「雨ニモ風ニモマケズ」という農民魂というか、確固たるその信念に驚愕の念を想じてしまう。 武骨だが、純粋な心を持つ日本人であったと思う。
そういう意味では、狩野誠さんも黒姫の財産ではなかろうか。 小説でも伝記でもいい、どなたか狩野さんの生涯を著述してくれたら、狩野さんの心を皆がもっと知ることが出来るであろう。 これまで、狩野さんと町との関わりがどんなものであったか、全く知らないのだが、これだけの逸材をそのままにして埋もらせてしまうのは、それこそ勿体ない。 戦中戦後を通して、稀有な生涯を終わられた狩野さんにスポットライトを当てた企画が生まれて来ることを、是非是非願いたい。
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