一昨日、狩野誠さんの「雑草の詩(うた)」を読んだと記したが、黒姫和漢薬研究所のページを開くと、左に「黒姫山麓に生きる」とあり、この中に学校の機関誌であろうかサインズ・オブ・ザ・タイムズ1976年2月号というPDF版「黒姫山麓に生きる」があって、これを読むと講演録と同様に狩野さんが生きてこられた歴史の一端を知ることができる。
その中で、「片手にペン片手に鍬を持つ」ような学校がないだろうかと、全寮制の日本三育学院にお子さんを通わせることになったと記されている。
25年程昔であろうか、知り合いの牧師さんに紹介され、我々も子供の進学先としてこの学院を訪ねたことがあった。 千葉県の大多喜の方か、あるいは茨城県の霞ヶ浦の方だったか、記憶は不確かだ。 小学生の息子を連れて見学したのだったが、本人の同意を得られず結局願書を出す所までに至らなかった。
さて、狩野誠さんが昭和33年に出版された「開拓農民」は絶版で手に入らず、「荒野に灯をともせ」は中古本の検索でいくつか引っ掛かったので、早速注文した。
家内は、長野市で行われた講演会で狩野さんのお話をうかがったり数度お会いしていたが、自分は2004年にお会いしたのみである。 1990年に黒姫に来るようになって随分と機会はあったはずなのにと残念に思うが、人間というのは手に届かなくなった時に、初めて物事の大切さを知るのであろう。
所で、三育学院と同じように寄宿制の自由学園という一貫校が東京にある。 羽仁もと子が創立した学び舎だが、同時に婦人の友という婦人のための雑誌を出版している。 家内は所帯を持ってからの読者なのだが、ここに必ず黒姫和漢薬の広告が載っていたのだった。 それが、最近なのかいつのまにか載らなくなってしまったと云う。 えんめい茶も誠さんの時代からどんどん変わっているのかもしれない。 創業時の理念が霞みかけているとしたら、非常に残念なことである。
動作がだいぶ不調になってきたネットワークカメラを動かして、久しぶりの大雪の後の風景を撮って見た。 やはり春なのであろう、一点の雲のない黒姫山とはなってない。 昨日までの雪は、よくこの頃に見られる、冬の終わりを告げる自然の悪戯であろう。 これから春の色が日増しに濃くなるということだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿