昨日は、ひな祭りだったと、窓辺に小さな雛人形が置いたあるのに気がついた。 以前、知り合いに教えてもらい家内が作った物だとのこと。 女の子を育てたことのない我が家では、男雛と女雛の位置もしっかり頭に入っていないようで、こんな写真になってしまった。
節句というのは、子供の成長を祝う節目であると同時に、更なる健やかな成長を願う日でもある。 節目といえば、昔なら中学校を卒業して集団就職をする時、今なら高校を卒業して就職したり進学する時が大きな成長の転換期と云えるであろう。
さて、大学受験シーズンもそろそろ終盤となり、今週には国公立大学の合格発表があるらしい。 先日、街の不動産業を営む知人からうかがった話だが、通学が出来ない学生は、親から離れた一人住まいを始めるため、この時期、アパートなど下宿探しを始めるとのこと。
この一人住まいという大人社会へ入る節目の第一歩に際し、親が手取り足取りアパート探しから家庭用品の購入まで算段し、本人は自宅の居室を下宿へそのまま移した感覚で住む、という形の新入生が多いらしい。
親に資力があるのか、部屋の広さ、設備など注文が多く、月額6万~8万という賃料が出せるらしい。 生活費を含めると月に15万円近いお金が必要で、これに学費が追加されるわけだ。 今、上場企業の初任給は幾らだか知らないが20万円そこそこであろう、これから税金や社会保険などを引いたら、手元に幾ら残るであろうか。 学生時代のような贅沢な暮らしは、きっと出来ないであろう。
今や大学の名前だけで就職できる時代ではない。 やはり本人の学識や智識が4年の間にどれだけ蓄えられ、それが仕事という中でいかに生かされるかである。
自ら道を拓き、自分の夢に向かって励むという意識を醸成させる、またとないチャンスがこの下宿を始める時ではなかろうかと思う。 一人住まいは心配なこともあろう、隣人とのトラブルもあろう、新聞屋などのしつっこいセールスもあろう。 そういうことを一つ一つこなして、自分に自信をつけるというか、社会に適合していくことが出来るのがこの時なのだ。 親が子供の道作りをしていては、本人が全然成長しないまま、社会人になることになる。
所詮、親は子供の面倒を最後まで見ることは出来ずに、自分の方が先に死んで行くのだ。 子供の独立心が備わった所で親の役目は終わる筈なのだが、パラサイトという言葉が生まれ、どこの家庭でもそれが当たり前になりつつある。 今や、日本の家庭のみならず、社会、企業、政治のどこを見ても、ひ弱さや脆弱さが感じられてしまうのは、自分が年老いただけではないであろう。
若い時の貧乏や苦労は必ず本人の力になるもの。 親が豊満に金が出せても、限られた中で生活させ、自分なりの工夫を見つけさせるのが、これも一つの教育である。 ぬるま湯にさらに湯を注がれてもありがたみはない。 不動産業者の話から、そんなことを思う、一日遅れのひな祭りでした。
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