今日の暦から : 一日3回定時に食事をする
「現代日本紀行文学全集・中部日本編」に収録された紀行文の中で、黒姫や近隣に紀行されたものをしばらく掲載して来たが、もう数件あったのでお付き合い願おう。
今回は、高浜虚子の「戸隠行」である。 俳人・高浜虚子は、愛媛県松山の生まれで、正岡子規に師事し、俳誌「ほとゝぎす」を引継後長く主宰する。 この「ほとゝぎす」からは、前に同じように掲載した中村草田男が輩出しているとのこと。
本文では、善光寺の裏手から急峻な坂を自動車で登って行ったとあるが、あの雪避けシェルターがある七曲りを云っているのであろう。 そうは云っても、バードラインが出来る(昭和39年)前であろうし、地附山崩落もあったろうから、現在の道とは随分と変わっているかもしれない。
戸隠神社(中社)の火災のことが書かれているので、この戸隠行は昭和17年以降と思われる。 俳人仲間であろうか砧女という人の墓を参ることを目的にしていたようだ。
1.戸隠行 頁1
2.戸隠行 頁2
3.戸隠行 頁3
4.戸隠行 頁4
5.戸隠行 頁5
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