先日、小林一茶が富津から東京湾を渡って浦賀へ向かい、初恋の女「おりよちゃん」の墓に参ったという専福寺へ行って来たと記したが、「おりよ」という名前は本当の名前(幼名)であろうか。 ひょっとして作者の創作ではないかと思った。
というのは、同じ横須賀市内に坂本竜馬の妻「おりょう」がかつて住んでいて、その墓所も大津という場所の信楽寺(しんぎょうじ)にあるということなので、それがヒントになっているのではと勝手に想像したのだった。 「おりよ」と「おりょう」。
以前、おりょうさんが働いていたという料亭が横須賀市内にあると聞いたことがあったので、遠出をしたついでにこれも確かめようと行ってみた。 場所は、米が浜という所で、見た建物はおりょう会館という葬儀場であった。 そして、おりょうさんの銅像が正面入口に向かって建っていた。 お客さんに向かってお礼を述べているのであろうか、会館に入る時は銅像の背中しか見えない。
ここが「おりょうさん」と関係があるのか確認できないまま、かつて坂本竜馬の奥さんが住んでいた場所にあるということで、「おりょう会館」と名づけているように感じた。 坂本竜馬には好きな人が山梨にもいたということだから、おりょうさんが竜馬の奥さんだと言っても一時であったかもしれない。 竜馬の死後は、東京に出て仲居の仕事なので知り合った西村松兵衛と再婚し、西村ツルと名乗って横須賀に住んだとのこと。 ここがその住んでいた場所であったらしい。
再婚相手の西村松兵衛は廻船業を営んでいたとのこと、小泉前首相の家もこの近くで、昔は同じように廻船業であった。 安浦港という漁港があったり、戦前は廻船や水兵を相手にしていたであろう赤線地帯もあって、混濁した地域であったと聞いている。 現在は、もうそのような面影は全くない。
坂本竜馬のことは、龍馬写真館で詳しく述べられている。
��追記)
ネットで調べた所、おりょう会館は、神奈川県を中心に冠婚葬祭事業を展開する会社の一事業所のようだ。
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