さて、今日は、「自然への讃歌 わが心のふるさと 信州」という10年前に出版された本を読んだ。 端から、そのあとがきの前段を記そう。
この本は、信越放送のラジオ・エッセイ「わが心のふるさと信州」に寄稿して下さった八五人の方々の随筆集である。みなさんが何らかの形で、信州とかかわりを持たれるのはもちろんだが、その職業は千差万別、同様に「信州」への想いも実にさまざまだ。 お読みいただければおわかりのように、そこには、体内からほとばしり出た言葉の充実感があり、心を打たれるものが多い。 その人の青春、その人の生き方、いってみれば”自分史”のひとこまが、素直に語られているからだろう。 そして、話の背景には、いずれも美しい自然や人との出合い、素朴な人情がある。 (後段略)
我が敬愛する、中野孝次さんや窪島誠一郎さんも寄稿されているのだが、原稿用紙3枚ほどの文章で、それぞれの方の想いが凝縮されているとも云えるが、反面やや物足りなさを感じてしまった。 85名全員が、生まれ故郷、そして縁あってかかわりを持った信州に愛着を込め感謝し誇りにされているのであった。
ところで、本書出版されて10年後の現在は如何であろうか。 皆、日本人の原風景がここ信州にあると思っておられたが、市町村の平成の大合併で地域の特色は無くなり、土建資本が大手を振って自然破壊を行っているのが、現在の信州の姿ではなかろうか。 ここ信濃町にしても、民間企業の利益のために産廃処分場が出来ようとしており、これに対し長野県も信濃町も何の具体策を示さないでいる。 住民の生活や健康を守るのが行政の役目であり、そのために役人は働き、対価として十分な報酬を我々の税金から得ているはずである。
先日、キャノン大分工場建設にかかわる不正資金の流れの中で、長野県知事の側近の方が検察の事情聴取を受け、表に出来ないものがあったのか自らを殺めてしまった由。 この事件は報道されることが真実なのであろうか? 何か黒い魔の手が背後で動いているような気がしてならない。 85名の著名人が故郷として貴ぶ信州も、中央官庁と同様に薄汚れて来ているのかもしれない。 今年の雪は、中国の黄砂の影響か汚いと聞く。 人間世界も、自然界も清いものが消えつつあるのが、信州の実態だと言えよう。
さて、Macを使い出して10日ほど経ったが、メインとして使って来るとOS操作にもだいぶ慣れてくる。 相変わらずフリーソフトを中心に良いものがあるとダウンロードしているのだが、今日はCaminoというMac専用のブラウザがあることを知った。 Caminoというのは、スペイン語で「道」。 キリスト教の聖者ヤコブが眠るサンティアゴ・デ・コンポステーラへ巡礼する道をカミーノというが、その名がこのブラウザには付けられているのであった。 ブラウザとしての特長がどこにあるのかはまだ分からない。 V2.0版は英語だが、V1.6.6版であれば日本語メニューが表示される。 この流れの中で、Mac用の無料ソフトを一覧しているOpenSourceMacというサイトがあることを知った。 これだけあれば十分Macを使いこなせるというソフトの量なのであった。 OpenSourceに対するきちんとした理解もないのだが、フリーで使えるソフトがあるということは、我々ユーザーにとっては実に有り難いものだ。
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