ある方から産廃処分場計画に関する最近の新聞切り抜きを見せていただいたので、この計画について再考してみようと思う。
新潟県境に計画されている産廃処分場は、昨秋に現地を検分してきたが、関川沿いの高台にある傾斜地で素人が見ても崩落の心配があるなど危険な場所であると容易に判断がついた。 この計画に対し、関川下流域の妙高・上越市の市民の多くが汚染被害の恐れがあると5万人以上の署名を集め長野県庁に反対陳情をしている
しかし、当のお膝元である信濃町ときたら何ともお寒い状況にある。 明確に反対の意思表示をしているのは信濃町産廃対策住民の会と若干の町議会議員であろうと聞く。 信濃町役場も町長も反対という言葉を発しているものの、その声は小さく具体的な効果のある行動には出ていないようだ。 町長に至っては、賛成住民も反対住民も平等にと云う始末である。 行政における平等と将来にわたる住民の安全や健康を同じ物差しで測ろうとしているのである。 先日、学識者による計画地の地盤調査で危険と判断されたと町役場が長野県庁へ報告したというが、政治的に進められているであろう本計画に歯止めをかけるような内容でなかったと思う。 そんな甘い考えでは、長野県庁と高見澤が結託したような産廃計画を抑えることは出来ない。
このような反対運動に対し、産廃施設設置に賛成する人達が長野県庁に陳情したという報道もあった。 この記事によれば20名ほどの賛同者がいるそうだが、信濃町の総人口9千数百名のうち、たぶん成人は8千名ほどであろう。 増えたとしても100名ほどの賛同者とそれ以外の反対住民・明確な意思表示はないものの賛同しない住民等とを合わせ比較すれば、そもそも町長の平等に処するという思考そのものが誤りであることが分かる。
と同時に、あの賛同要望書の県への提出は、産廃業者である高見澤による指示かもしれないし、その活動にも高見澤から日当が払われているかもしれない。 賛同は金銭的な見返りのある活動であり、反対は物質的な見返りのない、ただ住民の自然環境と安全、健康を確保するための活動なのである。
賛同者の中には、「日常生活でゴミを出しているのに、産廃施設に反対しているのは道理に合わない」と言っているというが、この施設は住民の生活ゴミを処分するための施設ではない。 東京など大都市圏で発生した産業廃棄物を埋めるための施設なのである。 産業廃棄物というのは、ビルや工場などの建築廃材などあらゆるゴミなのであって、上信越路(高速道路)建設から生じた廃材を埋めた矢保利の館隣接地のように、工事が進めば埋立ゴミの中に何が入るか精査も出来ないのである。 アスベストや化合物、ダイオキシン等、呼吸器疾患を呼び起こすような物が含まれる可能性は非常に高い。 その毒性を考えたら生活ゴミと同一視点で見ること自体がナンセンスであることが分かる。
そもそも賛同者の多くは、産廃業者に土地を売る者、産廃施設導入のために働くことによって報酬を得る者であり、そんな金銭を得る者達と将来にわたって被害を受けるであろう住民とを同じ土俵で論じるのは、全く不平等この上ないと誰もが分かることである。
信濃町では間もなく町議会議員選挙が行われる。 明日が告示日だと思うが、この産廃問題に明確にノーという態度を表明されている方が当選することを願う。 そして弱腰の町長にきちんとした指針を示してほしいと思う。 と言いながらも、14人の定員に15名の立候補らしいので、ほとんど無投票状態で決まるのかもしれない。 町議になると手当3百万ほどになるらしいので、収入を当て込んで立候補する人もあろう。 どれだけ町政に期待できるのであろうか?不透明さはここにもある。 結局は、別荘住民をも引き込んだ、町民参加による地道な反対活動しか手だてはないのかもしれない。
それにしても高見澤という一私企業の営利活動のために、長野県民であり信濃町町民である住民自身が苦しまなかればいけないなんて、実に不合理な話である。 貧困な論理しか持たない人間が町にも県にも国にもあまりに多すぎる。 暴力行為は決してあってはならないが、フランスなどヨーロッパの人々のように、一人一人の明確な意思表示が欲しい。
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