今日の暦から : ダイエットには強い意志で
先月、信濃町役場のサイトに観光案内用の動画映像が掲載されていると記したが、今度は1995(平成7)年7月に起きた水害の模様を伝える映像が掲載されている。 現在2本だが、今月末までには掲載数を増やすらしい。
あの時は自分はまだ現役時代で、7月9日までは黒姫に居たのだが、その二日後に集中豪雨は起きていた。 近所の方から電話があり、鳥居川が氾濫し組内の家屋が浸水し、組の仲間達が早朝から復旧作業や炊き出しに出たと聞いた。
そして、8月1日、牟礼駅近くの土砂崩れで信越線は不通になっており、仮復旧した国道を使い豊野から振替バスが運行されていて、家内はそれでやっと黒姫に辿りついていた。 そして遅れること4日に、自分は仕事を終えて黒姫へ向かったが、ご近所の方に長野駅まで迎えに来てもらっていた。
災害が起きて半月以上経っていた頃であったが、長水や黒姫で水害の痕跡を見ることができたし、関川の中州に無残に取り残された車も見た。 幸い、ご近所の被害は殆どなく、これまで鉄道や車道の被害だけを記憶にとどめていたのだったが、この映像を初めて見て、当時大変な状況であったことが分かった。
そして、その後の鳥居川のコンクリートによる護岸復旧工事に対し、ニコルさんが川が死んでしまうと憤りをもって話されていたのだが、結果はどうなったのか知らない。 その数年前、川底の大きな石の裏に手を入れて、潜んでいる山女や岩魚などを捕まえて、川辺キャンピングをしたことがあったが、もうそんなことも出来ないことでしょう。
2 件のコメント:
こんにちは。
いつもおせわさまです。
ご覧いただきありがとうございます。
実は、7・11災害の映像は本当に役場の倉庫に眠っていたもので、私を含めて、存在を知らない職員も多いものでした。
当時の私は学生をしており、東京のアパートで朝のテレビニュースに映った、ふるさとの惨状を目にしたのを覚えています。
役場に入庁してからも、記録は写真や口伝えでしか知らず、初めてこの映像を見た時に、ものすごい迫力に圧倒されました。
映像記録保存に対する体制がなく、その重要性の認識も低い役場にあって、非常に貴重な映像ですし、私は、惨状のなかで撮影した職員をリスペクトしています。大体こういう時に撮影していると「暇なんだな」と言われるのが多いですので:pp_02.gif:
この災害は奇跡的にも人命に関わる被害がありませんでした。
ただ、その裏には関係者や地域の互いの助け合いがあったからだと伺っています。
当時の関係者に話を聞けば聞くほど、「奇跡的」ともいえる事例が多くあります。
力量不足で、そのあたりをうまくお伝えできないのが、自分に歯がゆくもあったりしますが・・・。
ともあれ、これをどうにか町のみなさんにお伝えできないか。
防災に対する意識を少しでも高めていただけないか。
そんなことを考え掲載しています。
幸いにも、YouTubeでの視聴回数が計15000回を突破してしまいした。
本当は町のみなさんにと思っていますが、他県からもコメントいただいたりしております。
広い意味での、災害の記録として目にしていただけたら、と考えるようになっております。
長々、すみません。
今後もよろしくお願いします。
かわさん、コメントいただき有難うございます。 広報の「編集後記」をいつも楽しみに見ています。
大きな水害はテレビ報道で見ることはあっても、こういう地域の映像というのはなかなか見ることはありません。 そういう意味でも倉庫から発見され、12年ぶりに皆が見られるようにされたというのは快挙ですね。
��DSLや光回線の充実と共にオフトークの廃止が現実化しつつある今、町内でのネット利用の促進や、こういった映像での広報活動の重要性がますます増えて来ますね。
こちらこそよろしくお願いします。
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