今日は、信越線開業120周年記念のSL・DL信越号の最後の営業(運行)日であった。 早朝はかろうじて雲が切れていたが間もなくどんよりとした空になってしまった。 次回SLが黒姫に来るのは何年後であろうか? 5~6年後の北陸新幹線の全面開通に伴い信越線の営業存続は風前のともし火状態らしいのだが、今回のようなイベントが廃止のエクスキューズにならないことを祈りたい。 さて、試運転4日間+営業運転3日間のうち、中4日間D51とDD16を撮り続けたので、今日は天気が良くないこともあって、信濃町を離れ上田の無言館へと向かった。
無言館へはこれまでも何回か訪ねているが、去る9月に第二展示館が出来て、まだ見ていなかったので今回訪ねたものであった。 作品を見て何気に自画像が目立つように思われたが、戦地へ赴く画学生の「もし内地へ帰れなかったら」という心境の現れではなかったかと感じ入るものがあった。 駐車場はほぼ満杯で、無言館への一般の関心が強いことがうかがえたが、入場料の支払い方が従前と同じように鷹揚な方式であった。 入場者の心を信ずるという窪島さんの一徹がいまだ生き続けているように思われた。
展示館前に立てられたモニュメントには絵筆が組み込まれているのだが、右上部に赤いペンキが付いていた。 また嫌がらせの悪戯ではないかと、数年前に無言館前の慰霊碑に赤ペンキがかけられたという事件を思い出したのだが、多様な考えの人が居ることを忘れないために、このようなモニュメントにしたと裏面に説明書きがあった。
もう紅葉も終わって前山寺の庭も寂しいものであったが、樹齢700年のケヤキの木や胡桃餅だけは忘れなかった。
午後からは須坂へ戻って上信越道インター近くの浄運寺へ向かった。 2時から行われる青山俊董師の講演「出会いは人生の宝」を聴くためであったが、駐車場がほぼ満杯に驚き本堂へ行くと、檀家法要が午前中からあって、それが終わってから講演があるとのことであった。 最後のお経の中で供養者の名前が上げられたのだが、「中野孝次」さんのお名前がはっきりと聞こえて来ていた。
本堂に入ると檀家の人達であろう8分ほど畳敷きが埋め尽くされており、わずかに残った空間に腰を下ろしたが、身動きできないほど一杯になっていた。
青山師は76歳ほどであろうか、にこやかな表情をされ、非常に平易な言葉遣いでわかり易く、人間の生き方を説かれていた。 まず自らアンテナを立てて自分で感じ考えることが必要だという話から始まって、最後には、喧嘩しそうになったり愚痴を言いそうになった時は、まず合掌から始めたらいいと仰っていた。 1時間半の間に大事なフレーズをいくつも話されていたが、その要旨をまとめていつかここに残そうと思う。 家内が著作を数冊購入したので読みたい。
今日の暦から : 食事は常に規則正しく
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