我が家では、主住地でも黒姫でも新聞を購読していません。 以前は取っていましたが、1ヶ月半の間海外に出ることがあって、購読を休止していたものの、その後購読の必要性が感じられずに来ています。 一方的に垂れ流されるテレビのニュースも殆ど見ないというか、視聴の意義が感じられず、インターネット上で読む、自分の目で選ぶニュースで十分足りていると感じているのです。
ただ困るのは我が家に新聞紙がないことです。 新聞紙は、山菜のゴミ取り作業の時や、野菜や果物などを宅配する時などには大変重宝するので、時々ご近所からいただいているのですが、その時に何気に新聞紙を開くと思わぬ記事に出会うことがあります。
先日、読んだ信濃毎日新聞の「青春時代と戦後日本」という記事もその一つで頷かせられた内容でした。
60年安保の時、岸首相が述べたという「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである」という言葉に非情な挫折感を感じたということでした。 そういえば、「もたず、つくらず、もちこまず」の非核三原則もどこかに霧消した感があります。
現在、脱原発活動や福島の子供たちを救済する運動が行われていますが、一部の意識のある人々だけの運動であったら、60年安保と同じ二の舞になることでしょう。 日本中の市民が自分の問題としてとらえ、個々の利益や利権ではなく、日本の将来を担う子供たちを育てるという基本に立って、かかる運動を捉えるなり参加するなりする必要があるとつくづく思うのです。 放射能禍に苦しんでいる(将来苦しむ)であろう子供たちのことを、感情論などでオブラートに包んだ、さも綺麗ごとのような言葉を発して事実を歪曲化する、評論家や学者、コメンテータなどには注意をしたいものです。
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