いつの世も同じだと思うが、若者が発する言葉が分からなくなって来たらオジン(=ロートル)になった証拠でしょう。 そういうオジンという言葉もとうの昔に捨てられた言葉かもしれませんネ。
最近聞いた言葉「ダン・シャ・リ」、これも分からなかった。 「断・捨・離」と漢字で表すとどことなく分かる気がします。 要は、身の回りの物を捨ててスリムになろうということらしいです。
まずは購入した雑誌の最初の頁に記載された文章を残そう。
モノを”断”ち、ガラクタを”捨”てれば、執着も”離”れていく
「断捨離」とは、心の執着を手放すヨガの行法哲学、
「断行・捨行・離行」をベースとした片づけ術。
詳しくは ー> 断捨離.COM
身の回りのモノを見なおし、将来使えそうなモノや思い出の物など、今必要でない物の利用度合いを考え、利用価値のないものなどを捨てて、整理整頓をはかろうということのようです。 身の回りが片付いてくると、更に不要な物が目に付いたり、部屋の汚れが気になりだして清掃をよくするになるそうです。 また、体をよく動かすようになり、体のダイエット効果もあるとのこと。
現代は、大量生産大量消費のためにえいえいと努力して来ましたが、大企業がより大きくなって富の偏在が行われるようになりました。 搾取する階級と搾取される階級という格差が明らかになり、大量生産がいかに不経済であることが徐々に認識され、地産地消という活動や、身土不二にこだわる生産者も増えて来ました。 コンピュータ世界でもシェアリングという考え方、活用方法などが広まって来ましたが、個人がモノを所有せず、お互いに使い回しをしてモノのムダや、無駄な支出を減らそうという動きが広がって来ています。
地球上にある資源は限りがあるものだし、新しい科学的な発見や発明が将来あるにしても、資源を無駄にしないことは子々孫々のためにもなるわけです。 資源を無駄にしないと同時に、地球を汚損するような放射能廃棄物などを産む技術は凍結するなどの策が必要なわけで、そういう普遍的な認識にもこの断捨離は繋がると思います。
件の雑誌の一ページに経済アナリストのコメントがあり、「3.11以降の日本をどう生きるか?」というタイトルで、
◯「いかに省エネして、幸せに生きるか」が課題
◯20世紀の物質文明から、精神性を高める時代へ。
という記述がありました。 モノの豊かさではなく、ココロの豊かさを求める時代になりつつあるということでしょう。
さて、当方の問題ですが、身の回りの片付けはいつもやらなければと思いつつ、一日延ばしになって今日に至っています。 まずパソコン関係。 NECのTK-80、PC-8001などマイコン黎明期のハード、ソフト、雑誌。 これまでだいぶ捨てましたが、まだまだ棚の奥に鎮座したままで、書棚の本や雑誌も溢れ、あちこちに散在。 音楽CDもMP3化すれば、本体は不要で中古市場などで処分した方がいいでしょう。
大地震発生の際に、積み上げた書籍が崩れ、それに埋もれて亡くなった人がいたと聞きましたが、自室はそこまでひどくはありませんが、このままにしておくと、早晩似たような状況に陥るかもしれません。 この暑さでは作業が辛いので、涼しくなってから整理しようと思うのですが、そうするとまた片付けが延びてしまうことになります。 自分の人生は限りがあるものだし、遺された者にとっては遺物はほとんど邪魔物でしょう。 今のうちに整理しておいた方が、彼らの負担を軽くすることにもなるのです。 と汗を拭き拭き肝に銘じた一日でした。
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