さて、信濃町には、町役場が指定した有形無形の文化財があるが、その中の旧碑を写真に撮ってあったのでここに残すことにした。 墓碑や句碑の旧いものを旧碑と云って良いか分からないが、「旧碑」や「古碑」でネット検索すると、色々なサイトがヒットされ使われているので問題なさそうだ。
その旧碑の一つは、柏原諏訪神社の境内に残る一茶句碑で、もう一つは赤渋の雲竜寺山門に立つ長月庵若翁の墓碑。
一茶句碑は、文政12年(1829年)一茶三回忌に、弟弥兵衛や門人等によって柏原宿の入口に建立され、明治10年に諏訪神社境内に移転されたと説明書きが碑の横にある。 移転は国道の造成によるものであろうが、柏原宿の入口というと現在国道から古間へ降りる急坂の所に火の見櫓があるが、あの辺りになるであろうか。
もう一つ、一番旧いという芭蕉句碑が野尻にあるのだが、残念ながら写真に収めたことがない。 なお、信濃町役場に文化財を一覧にしたページがある。
松蔭に寝てくふ六十よ州かな | |
赤渋の雲竜寺については、「山に祈り、神々と暮らす 信州・黒姫卿『山窩民族哀話』」と枕詞がついた「鳴けない山鳥の詩」という、黒姫山中に住んでいた杣人の物語をかつて読んで知っていた。 本書にある頃の雲竜寺はもっと山に近い所にあったようで、赤渋から前山へ向かう道の途中に立て札があったので、以前に藪の中を分け入ってみたが、寺のあった場所は確認できなかった。
この4~5月に一茶記念館で雲龍寺寺宝展が開かれて、一茶祭の際に寺宝を見るとともに長月庵若翁のことを知り、後日雲竜寺を訪ね墓碑を確認したのであった。
寺宝展の時に展示してあった、葛飾北斎の弟子だという為斎が書いた屏風絵「玉巵弾琴図」が素晴らしかったが、再び観られる機会はないのであろうか、ちょっと勿体無い感じがする。
今日の暦から : 階段使って足腰強化
0 件のコメント:
コメントを投稿