先日、原爆の図 丸木美術館のニュースが届いたと記し、最後に少しふれた松本市浅間温泉にある神宮寺から、お寺マガジン「唯々諾々」が届いた。 「あなたが言うことはもっともな事だ、その通りだ」と合点してほしいと、「唯々諾々」と名づけられたのであろうか、高橋住職の寺説などを読んでいると、実になるほどとこれまでの自分の考え方に近いものがあり、すっと腹の中におさまるのである。
神宮寺の襖に書かれた、丸木位里・俊さんの作品は以前に見させていただいことがあるが、これまで原爆の図の展覧を毎夏されている経緯について今回初めて知った次第である。 8月1日(金)~8日(金)の間作品が無料で展示されるが、1日(金)~3日(日)は、特にお盆の法要も行われる。 通常のお寺では、仏を弔うお盆の行事をお施餓鬼と云っているが、神宮寺では、お盆法要と題して、お経の押し売りをせず、
と、渡辺美佐子さんの語りや辻幹雄さんのギター演奏が今年は予定されているようだ。
11弦ギターの辻幹雄さんは、毎年のようにこちらで演奏しているようだが、自分は4年前に野尻湖の琵琶島で聞くことが出来た。 この年、宇賀神社の七年大祭の行事があり、大鳥居が新しくなっていたが、その一環としてギターと琴の演奏があったのである。
高橋住職が寺説・自説として書かれている、
は、より多くの人に読んでほしいと勝手に思い、そのページをここに載せておいた。
住職が言われる、「符号の支配に楔を打ち込むのはいったい誰なのか」。 我々一人一人の認識の問題でもあるが、日本社会は、経済や政治活動の中で一定の方向付けが行われているわけで、その意味からも政治家や企業人、官僚の責任や自覚は大変重要である。 事あるごとに書くことではあるが、幸福で平和な社会を造り上げることを、彼らが目標としない限り、世の中は良くならない。 利権をむさぼる役人(大分の教育委員会など)、政治屋、そして宗教組織が無くならない限り、それは望めないであろう。
今日の暦から : 日焼けの肌に油分補給
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