先日、無明塾で加賀乙彦さんが現在開催中の作家・有島武郎展のことを話され、同時に氏が軽井沢高原文庫の館長もされているというので、昨日は訪ねて来た。 もっとも訪ねたというより、黒姫での長い夏を終えて、常住場所へ戻る途中に寄ったものであった。
明治・大正時代の作家の作品を読むことは全くなくなってしまい、有島武郎の作品もタイトルのみを知るだけで読んだことはない。 しかし、加賀さんの話を聞き、また文庫の展示物を見て関心が湧いて来た。 それにしても有島の情死を伝える、当時の新聞記事が生々しいのに驚く。 若い時代に札幌農学校に学び、アメリカに渡ってキリスト教(プロテスタント)に一時心を寄せるものの廃教。 ブルジョジーの一隅に身を置きながら、奥さんを病死で失うも、何不自由ない生活の中で人妻に恋し心中するという事が世の中の関心を呼んだのであろう。 ウイキペディアで見れば分かることだが、弟は作家の里見弴、妹の嫁ぎ先は三笠ホテルを創業、長男は俳優の森雅之などと、係累は煌びやかである。 家内は、有島の純粋さがゆえに、波多野秋子に騙されたのではないかと云うが、真相は分からない。
有島が情死したという場所は三笠ホテルの近くに終焉の地として碑が残っているそうだが、その別荘の浄月庵はこの文庫の前に移築され、今は喫茶店として使われている。 たぶんここに入る人は何も知らないのだろうが、かつての新聞報道などを見てしまうと、どうも入る気になれない。
それから人造湖である塩沢湖周囲にある軽井沢タリアセンに入り、ペイネ美術館、深沢紅子野の花美術館、旧朝吹山荘を見学。 ペイネの絵はいろいろなものに挿絵などとして使われているので、どなたも見れば分かるもの。 深沢紅子の野の花の絵は、「婦人の友」の表紙によく使われていたので、これもよく目にしていた。 旧朝吹山荘はヴォーリスの設計に寄るものだそうだが、信濃町の信濃村伝道所や国際村講堂などと較べると、単なる山小屋ではなく贅をつくしたお屋敷のようにも見えてしまう。
野上弥生子書斎兼茶室(軽井沢高原文庫前庭にて) | 加賀乙彦館長の挨拶文(軽井沢高原文庫前庭にて) | 堀辰雄1412番別荘(軽井沢高原文庫裏庭にて) | 有島武郎情死の別荘 |
野の花美術館(旧軽井沢郵便局舎) | 旧朝吹山荘(ヴォーリズ設計) | 旧朝吹山荘ベランダにて | 塩沢湖と旧朝吹山荘 |
今日の暦から : 軽い体操でストレス解消
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