偶然見た雑誌の映画欄で、小林多喜二の「蟹工船」の映画が上映されていることを知り、時間が空いたついでに今日は観に出かけた。 小説は既に読んでいるので、全体のストーリーは頭に入っていたが、蟹漁をする小さな川崎船という木船や、母船で蟹を処置して蟹缶にするまでの作業など、その現場のすざましさがよく分かった。
劣悪な環境下での労働、不十分な休養や食事、僚船の難破を助けることなく優先される蟹漁、死亡した仲間を弔うことなく海に捨てる光景、それらの結果、労働者は待遇改善を求めて暴動を起こすのだが、秘密裏に無線で呼ばれた海軍に拘束され、主な首謀者が殺害された所で映画は終わった。
この小説は、昭和初期を舞台にしているわけだが、企業と軍隊が共に弱い労働者を苛め抜いた現場は、80年後の現代を映しているようにも感じる。 政治家や経済人、高級官僚などが結託して、自分達の利益の確保や誘導にまい進し、市民の健全な生活がなおざりにされていることは、派遣労働や名ばかり管理職が何ら改善されていないことからもよく分かる。
年金問題は何ら解決の糸口がなく数年を経ているし、汚染米の処置も結局は行政の怠慢である。 NHKをはじめテレビや新聞社は与党のプロパガンダとなり、政策や行政の精査すら行わない。 しかも電通などの広告会社を多用し、政府や与党は国民への誤魔化しに躍起になっている。 派遣労働やパート労働などで安く労働者を使うことや、輸出製品に対する消費税の還付制度ゆえに消費税のアップをねらう日経連。 どれもが蟹工船の労働者のように使い捨て雇用がベースになっているのである。
ワーキングプアーだと、今年は「蟹工船」の小説再版が評判になっているようだが、単にブームで終わらせるのではなく、今の政治腐敗を糺すきっかけにしてほしいと思う。 映画の中では、若かりし頃の山村聡、森雅之(有島武郎の子息である)、森川信、花沢徳衛などが見られたが、何せ半世紀前(1959年)のフィルムなので、雨が降る画面が続き音も歪んで分かり難い部分があった。
次に上映されたのが、「時代(とき)を撃て・多喜二」(製作2005年)で、これは多喜二の生涯をナレーションで説明すると同時に、俳優や関係した人達の証言を聞かせるものであった。 以前、三浦綾子著作の「母」を読んでも感じたが、小林多喜二は親兄弟愛ばかりでなく人間愛に溢れ、正義感が強かったゆえに、社会の不正義を問いたださざるを得なかったのであろう。 戦後のレッドパージのような教育の結果、小林多喜二の真の姿に我々が気づいて来なかったことは非常に残念であった。
さぁ、これから映画館で購入したCD 朗読と歌で綴る「多喜二が愛した音楽」 を聞くことにしよう。
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