先月、学習研究社から出版された「餓死迫る日本」という本を読んだ。
著者は、東京・国立市であすか会教育会研究所を開かれている小池松次さん。 本書はまず、日本のエネルギー自給率の問題から論旨の展開を行っている。 原油国からの輸送分、備蓄分を含めても日本には半年分の原油しかないらしい。 しかも備蓄基地は全国に6ヶ所、民間の借り上げタンクが17ヶ所あるというが、災害など緊急時に備蓄分をスムースに精製工場に搬送できるか疑わしい。 石油製品の生産停止は、ただちにあらゆる産業で生産活動が出来なくなるわけだ。
そして、日本の食糧事情を見た時、政府は食糧自給率37%と発表しているが、著者は石油に頼る部分を除くと1%にも満たないと、次のような説明から色々な形で説いている。
平成十八年度版の農林水産省「食料需給表」によれば、日本の米の自給率は94%となっています。 そのほかにも小麦の13%、大豆の5%以外の食べ物なら、なんとなく半分くらいは自給できているように思われる数字が並んでいます。
これが本当なら、これほどけっこうなことはありません。 しかし、ここに掲げられた数字は、農機具や漁船の燃料、チッソ、カリ(カリウム)の三大要素を含む肥料、除草剤、農薬など、日本がほぼ100%輸入に頼っている石油と、やはり100%輸入の原材料および石油を必要とする産業なしでは、成立することさえ困難な農漁業の収穫・漁獲量をベースにして、これらの現実をまったく無視して弾き出したものなのです。
このよう書き、Xデーには日本人の殆どが餓死する可能性があると、詳細に調べた資料あげて、分かり易く説明されている。 行政に国民を守る力がないとか、政府のプロパガンダでしかないNHKに対し、かなり批判的な意見をお持ちのようで、それらも含め実に優れた内容になっていると思う。 そして著者は最後に、家庭菜園でも出来る、ケールとサツマイモの生産で自己防衛を図るよう呼びかけている。
ケールは西欧では雑草のようなものらしく、キャベツの類らしいが栄養素の点からも優れている野菜だとのこと。 そういえば2年前、スペインのガルシア地方で、ケールの美味しいスープを食べ、畑に長く延びていたケールを見た記憶がある。 葉っぱをもぎ取って食し、茎は硬くなってどんどん延びて、最後には花が咲いて種を取るらしい。 茎は燃料にもなるとのこと。 先に茹でてから油炒めしたものを食べてみたが、美味しいものではないものの青臭さはなく食べられた。 青汁の元にもなっているらしい。
早速、そのケールを戴いてきて、狭いに庭に植えてみた。 結構アブラムシがたかるようだが、薬品は使いたくないので、虫取りを丹念にする必要がありそうだ。
目次
まえがき - 困るのは輸出できな中国でなく、輸入できない日本
第1章 船と石油が止まる日
第2章 日本の農業と食料の悲惨な現実
第3章 歴史に刻まれた飢餓の記憶
第4章 米作り農家にも迫る餓死の恐怖
第5章 戦後食料難体験からの教訓
第6章 日本人が生き残るためには?
第7章 一億総餓死回避への提言
あとがき - 一蓮托生で餓死しないために
本書の帯には、西尾幹二が推薦のことばを書いている。 西尾は、「新しい歴史教科書を作る会」の会長を務めた御仁で、西部邁や藤岡信勝らと共に、偏狭的な思想で今の国政におもねる人物である。 かかる人物が推薦のことばを書いているということは、著者自身もその流れにあるのであろう。 本屋の店頭であったら決して買わなかったが、ある会合で著者のお話をうかがったので購入したのであった。 石油や食料の安全保障という非常に大切な事柄がたくさん書かれている本書なのに、その点がどうしても心に引っかかてしまうのが残念だった。
著者がケーブルテレビの番組で話されたビデオが掲載されていた。
今日の暦から : 早起きは気分爽快
2 件のコメント:
世界大戦中に随分ひもじい目にあった経験がありますが、窮地におちこめば、休耕田はリサイクルされるし裏庭を菜園にする人もでてくるでしょう。世界的な物資の流通、自由経済がまがりなりにでも維持されているかぎり、食料自給は真剣にとりあげられないでしょうね。簡単な例ですが、今のところ、家庭菜園でつくる食べ物はスーパーで買うのより随分高価なものになります。
ケールは米南部の食べ物、黒人のsoul foodと聞きます。キャベツ類に属しますから、虫はつくでしょうね。食用のタンポポもありますね。イタリヤ料理でも使われるようです。
戦前戦中と戦後の1955年頃まで、日本の社会状況が認識できる年齢(中学生以上でしょうか)になられた方々は、ひもじさというのが良く分かっておられることと思います。 私の父母も戦後しばらく畑をし、1ヶ所は自転車で移動しても30分以上の所で、リヤカーを引っ張って日参し、生活の糧を得ていました。小麦を獲って脱穀していた風景などもおぼろげに覚えています。 そんな姿を知っている自分でも、親に言わせれば、私は生活の苦労を知らないらしいです。
食糧事情については、日本とアメリカでは随分と異なるでしょう。 行政機関も違う。
これまでの日本は車や電子・電気製品の生産で貿易黒字だと喜んでいたのですが、その反面、石油や原材料、食糧は輸入に頼ることで貿易均衡を図ってきたのでしょう。 しかし貿易収支などというのは、いざ国家間の均衡が崩れれば無いも同然。
日本政府は軍隊の装備を拡充することが安全保障だと思っているらしいが、石油など資源、食糧などの国内生産や貯蔵を増やすことも国の安全を付保する大事な対策だという認識がない。
それが出来ていないことに、この本の著者は憂いているわけですが、私も実にそうだと思います。
加え、日本の行政機関の、緊急時の対応があまり信用できないことです。 部分的な地震や台風の被害地域に対してはコントロールできますが、国全体に緊急課題が生じた時はノーコントロールになって、たぶん一般市民が安全に生活できるような対策が施されないでしょう。(1年で首相辞任する所からも明らか) 一般市民も行政など組織に普段から頼るような、またテレビなどマスメディアに翻弄された生活をしているので、いざ緊急時の認識がなく、食べ物がなくなれば人の物を盗るしかなくなるわけです。
アメリカはとにかく国土が広い。 食糧がなくなれば人の物を盗る姿勢は同じでしょうが、とにかく自分で解決しようとする意識(認識)が強い。 日本人と較べると食べ過ぎの部分がありますが、節度ある食習慣があれば十分な食糧事情だと思います。 だから日本とは事情は全く異なるわけです。 それに行政機関の意識も違う。 本書の著者は、日本で生き残れるのは、山奥(農村)や離島へ自給自足の生活をしている家族だけだと云っています。
ケールは、確かオ・セブレイロ峠のバルで、スープにしたものを食べました。 白ワインと一緒に大変美味しい思いをしました。 キャベツ以上に栄養価は高いようです。 それに種が沢山取れるので、毎年繰り返して自分で生産できるとのことです。 まぁ、こんなことが徒労に終わるようであれば、いいことなのですが、...
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