昨夜満天の星とはいかないまでもたくさんの星が見えていたが、晴れて放射冷却現象であったろうか今朝の気温は1度。 畑には霜が降りて草や雪菜が白くなっていた。
そんな寒い朝であったが間もなく日差しが出て温かい日和となったので中野まで所用で出かけ、その帰りに飯山を回ることにした。
飯山といえば今の季節であれば菜の花が有名であるが、今日は菜の花公園へは行かずに、旧市街のお寺巡りをしてみることにした。 駅前の観光案内所で聞き、いくつかあるお寺巡りの一つにならって歩いてみたが、心に残るお寺はまず称念寺であった。
それほど広くない境内であるが、新緑が日に輝いていることもあって、何気に落ち着くのであった。 ほんの少し開けられた扉から本堂の中を見ると、正面の仏壇(表現が正しいか?)が非常にシンプルで瞑想の場としてふさわしいように思えた。 そして山門を出る際、庭掃除をされていた女性に会釈のみの挨拶をしたのだが、たいへん丁寧に挨拶を返され、その横顔に気高さというか気品のようなものを感じてしまった。 住職の奥様であろうか分からないが、数秒の対峙の中でそんな印象を持つことは現代では殆どないと思う。 家内も同様に感じたと、何か分からないがその気持ちを伝えたいという念にかられていた。
家に戻ってネット検索をしてみたら、やはり境内の佇まいに感じられていた方が居られたし、秋の紅葉時期にもすばらしい景色が見られるとのこと、再び訪ねたいお寺さんであった。
そして、妙専寺では、第十七代住職がレルヒ少佐から一本杖スキーの技術を習い、その習った明治45年1月23日が長野県スキー発祥の年であったと知った。 境内にはその住職の銅像がスキー板を履いた形で建っていた。
八重桜の花の境内にて。
お寺めぐりの最後は正受庵。 境内の清掃や雪囲いをはずす作業をされていた方に伺ってから、住職を呼んでいただき、再興のきっかけとなった山岡鉄舟のことを聞いたが、詳しい資料などは散逸して分からないとのこと。 忙しい中、我々に応対してくれた住職の人柄にも感ずるものがあったが、あの住職もかつての良寛さんのように里に出て托鉢などもされているらしいとネット検索で知った。 冗談めかして、「詐欺のようなことをして食べている」ような意味のことを話されていたが、次の機会にも人柄に触れてみたいと思う住職であった。
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