1989年出版の「小林一茶すまいを語る」という書籍を見つけた。 著者は、発刊当時、神奈川大学工学部の教授(現在、在任されているか不明)の西和夫さんという建築学専攻の先生である。
「近世文学の建築散歩」と副題をつけておられるが、茶道機関誌に連載したものを一冊の本にまとめられたとある。 そして、シリーズ三部作だと、他に「紫式部すまいを語る」と「兼好法師すまいを語る」の2冊が既刊されているらしいが、例によって古書店で見つけたため、他の2冊のことは分からない。
さて、「小林一茶すまいを語る」であるが、芭蕉・利休・良寛からはじまり鈴木牧之に至るまで、近世の文学者とその作品から、「すまい」や「家」に対する意識を考察しているもので、10章に分けられた7章目に小林一茶のことが書かれている。
26頁にわたって、一茶の俳句を実例に時々の一茶の思いを説明しているのだが、著作をそのまま複写するわけにいかないので、最初の所だけを残して、あとは要所だけにしよう。
小林一茶すまいを語る 一茶の生涯(1頁目のみ)
「家なし一茶」と題した段では、
家なしの此身(このみ)も春に逢ふ日哉 、 家なしも江戸の元日したりけり と家持ちへの願望を現しているという。 また、夕桜家ある人はとくけへる 、 家なしがへらず口(ぐち)きく涼み哉 などと家ある人をうらやむ姿も見られる。
秋寒や行先々は人の家 、 人並に畳の上の月見哉 、 よりかかる度(たび)に冷(ひや)つく柱哉 と訪ね歩く、他人の家を詠む。
そして、故郷柏原の我が家に対する思いは、文化二年には、家もはや捨たくなりぬ春霞 と詠みながら、文化十年自分の家となった2年後の文化十二年には、横がすみ足らぬ処が我家ぞ と詠んでいるとのこと。
悲願の我家になる直前の文化9年には、是がまあつひの栖か雪五尺。
大雪の我家なればぞ花の春 (文化十二年正月)
ふしぎ也生れた家でけふの月
親の家見へなくなりぬ夏の山
思ふまじ見まじとすれど我家かな
「一茶終焉の土蔵」、「一茶の俳句」へと考証が進み、「住まいと生活」では、
炭の火や夜は目につく古畳
埋火(うずみび)や白湯(さゆ)もちんちん夜の雨
我家の一つ手拭氷りけり などと詠む。
「農村と都市」では、
白妙の土蔵ぽっちり青田哉
軒下も人のもの也青田原
軒下も畠になして月夜哉 などと詠んで、一茶の人となりを説明している。
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