田辺聖子さんの「ひねくれ一茶」をやっと読み終えた。 タイトルの「花の世に無官の狐鳴きにけり」は一茶の辞世の句なのであろうか作品の最後に書かれてあった句である。 全548頁は読み応えがある。
昔、読んだ時の記憶だと、"ひねくれ"というタイトルと遺産をめぐる骨肉の争いから、一茶の一部の側面だけを突出させた作品だとずっと思っていた。 しかし、今回読み直して随分と違う人間像を見た。 藤沢周平の作品もそうなのだが、他人より少し背伸びをしたいとか、明日の食料を心配しなくてすむ生活をしたいといった、誰でももっている小市民的な希いを一茶も求めていたということがよく分かった。
二つの作品を比べてみると、「ひねくれ」の方は、江戸へ奉公に出される場面や西国行脚などの記述はない(思い出部分はあるが)。 あとの大まかな流れは両作品とも似ているものの、「ひねくれ」は、女性の眼から見たきめ細かな表現があり、著者の創造なのか、北斎や北越雪譜の鈴木牧之、初恋の女性も登場する。(訂正:一時、北斎を西鶴と誤記、西鶴は100年程早い)
話し言葉は、当時のままではないと思うが、現在信濃町の年配者から聞くことができる方言が多用されていて、それが分かるから余計楽しくなる。 語尾に「ずら」を付けるのは、三河者が柏原に棲みついたということを意識しているのであろう。
一茶が作った2万句のうちの幾つだか分からないが、頻繁に一茶句が登場する。 作句の背景や意味が分かればもっと楽しめたと思うが、読み手の方にそれだけの能力がないから仕方ない。
巻末に、信濃毎日新聞社刊「一茶全集」を底本にしたと書かれてあるだけで、あとがきはないが、以前町の古老から、一茶記念館の館長をされていた清水哲さんらがお手伝いをされたようなことを聞いたことがあった。
藤沢周平、田辺聖子と読んできて、机にはあと一冊、井上ひさしの本がある。 こちらは戯曲ということで、殆ど作り物だろうから、取り立てて一茶像を描く必要はない。
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