上信越道を坂城から長野に向かう時、更埴で大きなジャンクションを通る。 ここで長野道の松本方面と北陸方面に分かれるのだが、北陸方面の車は大きく右に円を描くように曲がって長野道と合流する。 この円(弧)を描く場所でよく事故が起き、荷物やトラックが道路の下に落ちたり、先日は人身事故もあったらしい。
坂城を過ぎて、五里ヶ峯トンネルからはじまり有明山トンネルと3つトンネルを過ぎると、下り坂が続き、そしてこのジャンクションに来るわけだが、この下り坂で結構スピードが出る(を出す)。 スピードが出たままカーブに差し掛かり、そこが上り坂になっていることもあって、あまりスピード調節をしないのであろう。 ローリング族を回避するため段差舗装がある坂道を見ることがあるが、あのような段差で車自体に震動を与えることで、自然に速度を落とさせるような工夫が必要だと思う。
さて、14日のしんまいサイトに、「長野の上信越道事故訴訟で和解成立」という記事が載っていた。 和解というのは大変なことだと思う。 日本では、官の過ちを正すというのは至難の業だからである。
自分も10年前に長野道で事故に遭遇したことがある。 当日は9時頃まで雪が降り、日中は青空で温かい一日であった。 しかし、午後は一転冷たい風が吹き、朝降った雪がとけ、その水が凍って、アイスバーン状態になっていたのであった。 重量のある車はそれでも走れたのであろうが、軽トラックのように軽い車は制御不能となってスピンし、そこに我々が遭遇したわけだ。
氷の上で急ブレーキを踏めばABSなどは役に立たない。 その時は上下線で時を同じくして事故が発生していたとのこと。 50kmの速度制限は出ていたが、乾燥路では80や90で走っている車が殆ど。 道路公団の管理責任が存在するようにも思えたが、10年も経ってしまえば単に繰言にしかならない。
今年は暖冬で雪が少ないというが、春がもうそこまで来ているということであれば、今頃から同じような現象は現われるかもしれない。 季節の変わり目は雪が少ないと安心せずに、自戒を込めて慎重に運転したいものだ。
長野の上信越道事故訴訟で和解成立 2月14日(水)
長野市若穂綿内の上信越道で2003年6月、乗用車がスリップし、運転していた須坂市内の会社員男性=当時(28)=が死亡した事故で、遺族3人が路面の不整備と乗用車の不備が原因として、日本道路公団(現東日本高速道路、東京)と、車を製造した日産自動車(東京)に総額約7000万円の損害賠償を求めた訴訟は13日までに、長野地裁(辻次郎裁判長)で和解した。
和解条項は6項目で(1)東日本高速道路と日産は哀悼の意を表し、冥福を祈る(2)東日本高速道路は法規に従って道路を維持、修繕、管理し、交通の安全と円滑化を図る(3)日産は車の安全技術の研究開発に引き続き取り組む-など。和解金は盛り込まれていない。
和解に応じた理由について、遺族代理人は「訴訟は損害賠償が目的でなく、遺族は事故が2度と起こらないことを望んでいる」としている。
日産は「亡くなった方に哀悼の意を表すとともに、車の安全技術の開発に努めたい」としている。東日本高速道路は、当事者同士のこと-としてコメントしていない。
遺族は04年1月に提訴。訴状によると、男性は03年6月25日午前8時10分すぎ、日産車で上信越道上り線を走行中、左側のガードロープにぶつかって車外に放り出され、脳挫傷などで死亡した。遺族は、路面のくぼみにたまった雨水で車が制御不能になった-と主張していた。
��信濃毎日新聞2007/2/14より)
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