今日の暦から : 笑いが心身を若返らせる
先日、「小林一茶すまいを語る」という書籍に、一茶のすまい(住宅)観を一茶の句集から伺えるという記載があると記したが、その本の最後の章に、江戸時代の秋山郷の生活を記した鈴木牧之のことが書かれている。
このブログでも秋山記行というエントリーを残しているが、文政十一年(1828年)9月、鈴木牧之は秋山郷へ足を踏み入れ、室町時代から、あるいはその前からえいえいと続いていた郷の暮らしを記し、天保八年に北越雪譜を刊行している由。
本書では、その鈴木牧之の足跡を訪ねると同時に、先の大戦後も僅かに見られたという住居の特徴として、茅壁と土座をあげている。
当時は、茅を縦にそろえ横に竹を通して押さえ壁にした茅壁が一般的で、柱を建てるにあたっては、土台を置くという家もあったらしいが、穴を堀って柱をたて埋めたという堀立柱の家が多かったらしい。
そして、居間に相当する場所は板の間ではなく、土を山盛りにし叩いて平にした所に藁をしき、さらに莚を敷いた土座であったと、その姿は昭和34年頃まで見られたらしい。
現在、信濃町で見られる茅葺の家は数少なくなったが、秋山郷とそう遠くない地なので、ひょっとしたら同じような建て方をしていた家があったかもしれない。 そんな文献があれば、昔の信濃町の生活を知る一助にもなろう。
「小林一茶すまいを語る」の鈴木牧之の頁の一部を残した。
1.鈴木牧之のくだり
2.秋山郷のくだり
3.土間住居のくだり
なお、秋山郷に現存していた山田家住宅は、昭和35年に大阪府豊中市の日本民家集落博物館(サイトのトップは大阪府文化財センター)に移築されている由。 何か機会があったら訪ねてみたい。
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