良寛さんの里を訪ねたことがきっかけとなって、ドイツ文学者の中野孝次さんを知り(かなり昔から著作は居間の本棚にあったのだが人柄を認識したのは今回が初めてであった)、教鞭を終わられてから精力的に書かれた著作の一部を、この2ヶ月ほどの間に読んで来た。
そして、今回読んだのが、「ガン日記」である。
2004年2月から3月にかけて、ガン発症の告知を受け抗ガン治療が始まるまでの間に記した日記である。
中野さんは治療を開始して4ヶ月後に亡くなっており、この日記は2006年に追悼展を準備する中で発見され出版に至ったらしい。
中野さんは、体調の異常に気づき診察を受け、どこの病院で治療を受けるかと決める過程を淡々と記されているが、あと1年の余命という宣告に、
---よし、あと1年か、それなら、あと1年しかないと思わず、あと1年みなと別れを告げる余裕を与えられたと思うことにしよう、1年を感謝して生きよう、とようやく思定まる。そして、
---誰かに起りうることは、誰にでも起こりうるのだ。と記している。 実に真なりと思う。
とセネカは「マルキアへの慰め」に言う。 誰かがガンにかかったのなら、あなたもガンにかかりうる、それをなぜあなたは自分にだけはそんなことが起こらないと思っていたのか。
このセネカの考え方がいつか身にしみついていたのだ。
自分に余命1年と知って以来、まわりのものすべてに対し愛しさの増すを覚える。 すべてが愛おしく。
本書の最後に、2001年5月3日に記したという「死に際しての処置」という項があり、ここで葬儀方法など細かく指示されているのだが、最後の文章が何とも良い。
以上なり。 予はすでに墓誌に記せる如く、十九歳第五高等学校に遊学以来、文学を愛し、生涯の業とせり。 戦後の窮乏時代には文学を以って生きることははなはだ困難なりしも、素志を貫き、以来ただ文学一筋に生きたり。 これを誇りとす。 また成瀬秀と結婚し、先年金婚の祝いをせしまで、共に支えあい、つつがなく生きたることを幸せとす。
顧みて幸福なる生涯なりき。 このことを天に感謝す。
わが志・わが思想・わが願いはすべて、わが著作の中にあり。 予は喜びも悲しみもすべて文学に托して生きたり。 予を偲ぶ者あらば、予が著作を見よ。
予に関わりしすべての人に感謝す。 さらば。
武士道にも通ずる潔さが感じられる。 氏の著作はまだ半分も読み終えていないのだが、手元には代表作である「清貧の思想」を買い求め置いてある。 日本の古典に登場する先達が示した「心のゆたかさ」を求め記しており、もともと文学的素養を持たない自分にはかなり重たい文章なのだが、やはり氏の心にもっと触れたく読み進めようと思っている。
なお、中野孝次さんのお墓は、須坂インター近くの浄運寺にある。 毎年夏に、無言館の窪島さん等と無明塾を開いていたのが縁となったようで、浄運寺のサイトにある「霊園のご案内」のページに中野さんのお墓の写真が載っている。
信濃町からはすぐ近くなので、一度はお参りに寄ってみたい。
今日の暦から : 自分の歯でおいしい一生
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