すでに展示は終了してしまったが、去る25日~27日に開かれた「
信州・戦争展」の概要を残しておこうと思う。 初日に上映された映画「
夕焼け小焼けで -石の鐘のこだまは-」と「
仏教者と戦争」という講演については昨日記した。
その後、隣室の展示コーナーを見たが、その一角で「
松代大本営移転計画」の概要についてパソコンを使った説明を受けた。 松代は、10年以上前に訪ねたことがあるが、地下壕作りに徴用された朝鮮人を慰霊する祭典が毎年あると聞いた記憶があった。
午後からは、「
世界に輝く憲法9条」という紙芝居をみたが、
コスタリカの憲法は日本の9条を手本にされているとか、
カナリヤ諸島には、スペイン語で書かれた9条の碑があるとのこと。 9条が単に旧いものだとか、占領軍に強制されたものだという主張が全く意味のないものだということがよく分かる。
次に行われたのが、「戦争体験から学ぶ」と題した体験談で、「
満蒙開拓青少年義勇軍」へ参加された、畑順男さん、大西忠義さんが交互に話されていたが、話したい事があまりに多かったのであろう、多岐にわたっていたが、筆舌に現せられないほどのご苦労をされた様子が垣間見えた。 そして、13~4歳の少年が参加した青少年義勇軍は関東軍の予備兵としての位置づけで、軍事教練の一環として、粗食や粗末な住まいを強制され、開拓作業を行わずに現地での略奪、搾取、陵辱、殺傷という行動に明け暮れていたとのこと。 そんな日本人に敗戦後の現地人は多大な温情を与えてくれたと云っておられた。
体験者の部隊では4割の兵士が日本へ帰国できた(6割の兵士が死亡など)ということだが、出兵した県によっては2割しか日本に戻れなかった部隊もあったようだ。
そういう辛い体験に対し、国や行政はその事実を明らかにしようとせず、逆に事実を歪曲するような方向に向いている。 彼らの悔しさがいくばくかであるかは想像を絶するものであろう。 微力ならが、その思いを隣人に伝えるだけでも彼らに応えることになるのではと、非戦の決意を新たにしたのであった。
展示の中に、「
須坂中学では、配属将校の暴力に抗して軍事教練ボイコットが行われ、
長野高女では軍司令部による校舎使用に反対する申し入れが行われた」とあった。 また、「信濃町の日本焼結KKに動員された飯山中、須坂中、屋代中の生徒たちは、あまりの劣悪な食事に改善要求をしてストライキを行った」とある。 下条村の当時の村長は義勇兵出兵に反対したとか、我々の先輩の中にも、骨のある人がいたということを知ったのが、わずかな慰めでもあった。
我々が本展示会を訪ねたのは25日のみで、26~27日にも証言・交流会が行われていたので、また別の感想を持った方々がおられたことであろうと思う。
☆展示室入口
☆北信出身の特攻隊員図
☆戦時下の学生
☆松本大本営
☆地下壕掘削の道具
☆地雷
☆クラスター爆弾
☆劣化ウラン弾
☆会場風景
☆体験者による説明
☆学校先生からの入隊のすすめ
☆屯墾病 失望と不満
☆反戦の声を根絶した教員赤化事件
☆国家権力による取り締まり
☆わだつみに逝った学生詩人
☆軍部に抗した先輩の姿
☆青少年義勇兵の姿を示したアニメ「蒼い記憶」
☆紙芝居「憲法9条」
☆満蒙開拓青少年義勇軍の証言
☆司会挨拶中の畑さんと大西さん
☆中国の人々から見た「満州移民を問う」
☆ビデオ「蒼い記憶」
☆DVD「夕焼け小焼けで」
信濃町・柴津の称名寺鐘楼にある「石の鐘」ドキュメンタリー映画
☆DVD「夕焼け小焼けで」裏面
会場でいただいたレジメを残しました。
☆平和のための信州・戦争展 〜語り継ぐ戦争
☆実行委員会あいさつ
☆満蒙開拓・青少年義勇軍
☆満蒙開拓団 「宣伝と実態は大違い」
☆満州開拓団、青少年義勇軍送り出しの経緯
☆松本大本営
☆松本大本営
☆戦時下の学生
☆須坂中学では軍事教練ボイコット
☆証言交流コーナー案内
☆語り継ぎ 日程
☆会場案内図