今年2月に長崎で買い求めた「十七歳の夏」をやっと読み終えた。 何も難しい本ではないのだが、あちらこちら目移りしているうちに書棚に隠れていたのであった。
著者は、長崎のカトリック修道院に所属する小崎登明さんという修道士さんであるが、この名は本名ではなく修道名であり、ペンネームでもある。 もっとも、秀吉時代にキリシタン迫害により長崎で殉教した26名の信徒や修道士達の中に、弱冠14歳のトマス小崎がおり、こちらから(霊)名をいただいたようだ。(トマスの漢字表記が登明であった由)
著者は、1945年8月9日長崎の原子爆弾を体験したと、その時の様子を表す所から本書は始まっている。
著者17歳の時、トンネル内の魚雷製作工場で働いていて、たまたま日勤であったので、直接原爆の被害に会っていなかった。 しかし、悲惨な被災状況に母親のことが心配になり、家に戻るも跡形もない状態で、母親の影すら探すことが出来なかったとのこと。 彼の人生の原点はここから出発している。
長崎・原爆の日、廃墟の丘で、ふしぎと生かされていた17歳の私は、この世の壊れゆく現実のなかに、神の声が聞こえて来たかおのように思う。 燃えさかる多くの死体を見たとき、頭上に神の光が閃いたように思う。 「この世で、何が、大切か。 これからの人生で学びなさい」以来、カトリック修道士となって、価値観を変えて、殉教者日本26聖人のひとり、聖トマス小崎の名前をいただいて、牛歩の歩みを続けてきた。
現在は、聖母の騎士修道院内にある聖コルベ記念館の館長のようなことをされているようで、訪ねた際しばし立ち話をしたが、彼が言う「所詮、人間は孤独」という言葉に言い尽くせない悲しみに溢れた半生ではなかったかと、大変重いものを感じた。
さて、この修道院の名は知らなくても、会に所属していた、コルベ神父やゼノ修道士という名であれば、どこかで聞いたと思い出される方も居られるであろう。 お二人とも1930年に訪日し、コルベ神父は出版を中心に仕事をされて6年後にはポーランドへ帰国している。 その後、ナチスに囚われ、アウシュビッツで制裁のため殺されようとした市民の代わりとして処刑されている。 またゼノ修道士は一人布教活動をしていたようで、戦後東京・浅草の墨田公園周辺で廃品回収を生業としていた人々と労苦を共にしていたようだ。 蟻の町のマリアと称せられる、北原玲子さんの話もかなり知られたものであった。
次の写真は、修道院の聖堂に飾られたコルベ神父の肖像画、コルベ神父の髪の毛が納められた置物、コルベ神父が日本に滞在した時に仕事をした机である。
今日の暦から : 冷水摩擦で風邪知らず
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