外交官僚であった天木直人氏のブログの9月14日に、「この国の若者は「天皇の玉音放送」(朝日文庫)という本を読むべきである」という投稿があった。 自分自身、日本帝国軍による侵略戦争と戦後政治について、きちんとした認識を持っていなかったので、読んでみようと先日買い求めた。
これまで日本人として生きて来て、過去の戦争についてのニュースや書籍雑誌などの多種多様な情報から、兵士、開拓民、民間人、大陸の市民、徴用された朝鮮人や中国人、慰安婦、解剖に供用された中国人(マルタ)などなど、日本帝国政府は未曾有の苦しみや殺戮を彼らに与えていたことを知って来た。
しかし、戦後政府は、戦争責任を明確にせず、戦死した兵士を奉る靖国神社に参ることを美徳と教え、軍人遺族への多額な年金支給を行うなど、お国のために働いたという軍人だけを大事にしてきた。
これに対し、東京などの空襲で罹災し亡くなった市民、沖縄戦で亡くなった市民、広島長崎の原爆投下による被害者などへの援助や給付はすべてに置き去りにされて来ていた。 何故なのだろうか?と疑問に思っていたのだが、本書を読むことでその謎が解けたと同時に、現在の政治・政府の質の悪さ、民を見ない官僚政治の全てが、昭和20年の昭和天皇の保身から始まっていたのだと確信することが出来た。
本書は、これまでの新聞報道や明らかにされた政府文書、要人の日記などをきちんと精査し、年月に従い当時の天皇ヒロヒトや政府、GHQなどの動きを解明した上で論理を展開しており、あの戦争はアジアを救うための聖戦であったとやみくもに主張する「新しい歴史教科書をつくる会」の面々とは論旨の質が全く異なっている。 著者は、「つくる会」の面々は彼等自身の「欲」により主張しており、実際の歴史を直視していないと説いている。 実のその通りだと思う。
さて、本書の冒頭では、ポツダム宣言を受諾するかどうか決断するという局面の状況説明から始まっているのだが、ヒロヒトをはじめ参謀、大臣などは早期に決心せず、阿南にいたっては本土決戦を主張していたという。 すでに東京は大空襲を受け、広島長崎に巨大爆弾が落とされていてもだ。 東京大空襲以降、ドイツ降伏や原爆投下など、決断する時期はたびたびあったのに、無為に時間のみ経過させてしまっていた。 彼らの決断が早ければ早いほど、苦しむ国民の数はもっと減らせたであろう。 ヒロヒトが国体(=天皇)護持、三種の神器、つまりは自分の身の安全ばかり考えていた結果であったということだ。
ヒロヒトのその保身姿勢は、マッカーサー着任後も変わらず、憲法9条や沖縄に米軍基地を置くことなども利用していたようだ。 つまり、ヒロヒトを戦犯とすると日本国内は混乱してしまうと、また、共産主義の脅威のため沖縄(日本)を防波堤にするよう勧めたのはヒロヒト自身であった。 沖縄人民は、連合軍の沖縄上陸作戦で苦渋を味わい、敗戦後再び棄民されていたのである。 何とも酷い話ではないか。 そして、その棄民政策が現代まで続いていることになる。
さらに、1951年のサンフランシスコ講和条約にあわせ、武力を持たない日本を共産圏から守るために(旧)日米安保条約を締結したと、この時点から日本はアメリカに貢ぐ体制に置かれてしまったのである。 アメリカ国債を買ったり、思いやり予算で駐留軍費用を日本が払ったり、イラク侵略戦争に加担して石油をばら撒くのも、その具体的な現われである。 アメリカは50年(実際にはもっと短いであろう)の間に、日本の全てを掌中に収めたわけだ。 戦後の政治家や企業、官僚などは、アメリカに日本を提供する中で、それぞれの利権漁りに明け暮れて来たわけだ。 次の文章は、旧安保条約の前文を引用した、最終章の前のものだが、今の実態がよく分かるのでここに残すことにした。(続きへ)
現代のワーキングプア、非正規雇用、社会保障や支給年金の劣悪化、などなど、全てが戦後のそういった流れの帰結であろうと思う。 アメリカ軍の原子力空母や原子力潜水艦まで日本に寄港するようになり、ロシアや中国、北朝鮮と一触即発にならなくても、ひとたび事故が発生すれば、日本国民の多くは放射能の危険にさらされてしまう。 そんな棄民政治で良いわけがないことぐらい、子供でも分かる。 そういう意味では、憲法9条改悪阻止は最後の砦かもしれない。 明日にも衆議院を通過する新テロ対策特別措置法改正案について、民主党は、参院でも早期採決に応じる方針だと言う。 野党ですら、この体たらくでは、若い人たちに、さっさと日本を捨てて海外へ行った方が良いと勧めるしかない。 実に悲しい。
本書の巻末に添付されたCDから
「アメリカ合衆国は、日本国が、攻撃的な脅威となり又は国際連合憲章の目的及び原則に従って平和と安全を増進すること以外に用いられうべき軍備をもつこを常に避けつつ、直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため漸増的に自ら責任を負うことを期待する。」
私たちは、明確に認識しなければならない。 日本の再軍備を要求している文章上の主語は「アメリカ合衆国」なのだ。 この前文の主語で「平和と安全を増進する」「軍備」の保有が容認され、さらには「自国の防衛のため」の軍備が「漸増」していくこと、すなわち日本の軍拡が、「アメリカ合衆国」によって「期待」されているのである。
つまり、独立後の1954年に創設された「自衛隊」と「防衛庁」は、明らかにアメリカの「期待」に応じたものであり、旧安保条約の文面に織り込み済みのことである。
もはや、アメリカから押し付けられた憲法9条を改正して、自立憲法の下に、日本を戦争のできる普通の国にするのだ、ということを主張する者たちの議論が歴史的事実に反したフレーム・アップ以外のなにものでないことは明らかであろう。
まずは旧日米安保条約自体が、憲法違反であるということ。
次に、旧日米安保条約において、アメリカ合衆国が、日本に憲法9条違反の「軍備」の保有とその拡張を義務づけていること。
しかも、それを恩着せがましく行っていること。
要するに「自立憲法制定」と言いながら、憲法9条を改悪しようとする者らのウソとホントの二重構造は、日米安保体制によって決定されているのだ。 憲法9条改悪による「自立憲法制定」こそが、よりいっそうの対米追従を強める道にほかならない。
つまり「自立憲法制定」というナショナリズムの仮面は、日本が名目上の独立国家になったその瞬間から、骨の髄までの対米追随主義を押し隠すための装置として機能していたのである。
同時に、この、あまりにも屈辱的な対米追随主義こそ、戦犯ヒロヒトを守る、唯一の方策であったがゆえに、敗戦後の極右ナショナリストは、原理的にアメリカに尻尾を振りつづける、最も忠実なアメリカ追随主義者になるのである。
私は、ナショナリストでも国家主義者でもないので「売国奴」などという言葉は使わないが、これまで論証してきたことを通して、戦犯ヒロヒトと、彼を支える日本の保守政治家たちが、敗戦のその瞬間から、日本列島に生きる人びとの、安全と権益を、一貫してアメリカに売り渡しつづけてきたことだけは明らかになった。 しかも、この路線は、イラク戦争をいち早く支持し、「武力攻撃事態」関連三法を通過させ、「イラク特措法」によって、自衛隊を戦場に送りこもうとしている、小泉純一郎政権の下で、ますます加速されているのだ。
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