昨日、沖縄問題について書いたが、今日「雁屋哲の美味しんぼ日記」は「敵を間違えるな」という記事を掲載しており、自分の言いたいことを平易に余すことなく書かれ、溜飲を下げる思いで一気に読んでしまった。 60余年、日本はアメリカの属国になりさがり、日本人はアメリカの奴隷状態に満足し、いつまでも上納金を納めているのが現在の姿なのです。 シマを守るからと払うヤクザのみかじめ料と同じで、いざ抗争が始まれば体良くとんずらしてしまうことしょう。 (在日)米軍の守る任務の中には、日本(国&人)は入っていないようですから、いざ紛争が始まっても日本列島はただ基地として使われ、再び戦場になって日本人だけがまた苦しむことになるんです。 日本列島が沈没してもアメリカにとっては痛くも痒くもない。 冷戦時代から言われている(政治家の常套句である)、日本をロシアや中国、北朝鮮から守ってくれるのが在日米軍だというのは、妄信でしかなく、政治家や企業人は利権しか考えていないのです。 いい加減に目を覚ませと言いたいのです。
そんな馬鹿な状況にならないよう、鳩山首相は戦後はじめてアメリカに抗しようとして来たと思われます。 今頃、ヒラリーはアメリカに帰って、ハトヤマを恫喝して金を出させるようにしたからとオバマにほくそ笑んで報告していることでしょう。 雁屋さんが言うように、今鳩山氏を支えなかったら日本は今後も奴隷状態を続けることになるのです。 非常に分かりやすい構図なのに、それを理解しようとしない、愚かな政治屋、経営者、学者もろもろが日本には多すぎます。
さて、2008年12月に亡くなられた、医者であり小説家であり随筆家であり思想家でも(他に何か?)あった加藤周一さんのお別れの会などで述べられた友人関係者らの弔辞を集めた「冥誕 加藤周一 追悼」を読んだ。 加藤周一さんについては、こちらの心内を見通すような強い眼力を持ち合わせておられたようで、たぶん短文は読んでいたと思うが、どことなく遠い存在で著作を手にした記憶はない。 しかし、大変な知識人でおられたという認識はあり、書かれたものを読みたいという気持ちは常に持っていた。 「戦争しない、軍備を持たない」という日本国憲法9条に対し、市民が明確な認識を持つようにしたいと始めた9条の会は、加藤さんの発案で2004年から始まったとのことであり、今や全国に7千の9条の会が存在するらしい。 先般、歩いたピースウォークfrom沖縄でも、地域の9条の会や平和委員会の方々にずいんぶんとお世話になった。
追悼集というのはおおうにして美文麗文が続くものだが、そんな雰囲気は行間に感じられず、本書では加藤さんの人柄を余す所なく表しているように思えた。 英語のみならずフランス語、ドイツ語が話せて海外の大学の教授を歴任したとか、中国での講演もたびたび行い、(中国人にとって)悪名高い日本人に対する見識を変えさせてしまったほどのようだ。 海外の新聞社が日本人のコメントを求める時に加藤さんの所にしばしば来たとのことである。 それだけ明解で論旨豊かなコメントを述べていた、国際人そのものの人であったということでしょう。 そこれ辺の議員先生や学者先生とは雲泥の差なのです。 加藤さんは、将来にわたって生き続ける日本を支える巨大な知識人、あるいは文人であろうと思いました。
本書を読んで、「政治に対しラディカルであれ」という言葉を肝に銘じた。 ラディカルというのは、石や棒を持って暴れろでもないし、意見を異にする者に対し暴言を吐けということでもない。 正義が通る社会になることを願い、どうすれば良いか強い意識を持ち、感情(怒り)を持つことだと思う。 怒りは次の踏み出しの一歩となるからである。 朝鮮(半島)の人々が(旧)日本に未だ持っているというハン(恨?)に近い認識を日本人も持つべきなのでしょう。(琉球人にも同じような思いがあるらしい)
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