日曜日からアクセスカウンターが急に増え300を越えていた。
自前のブログを見る前に家内が植草さんのブログを見て、数日前に私が「日本の独立」を読んだ感想を記した内容が転記されているのに気がついた。 たぶんそこに記されたリンクをたどって当方に来られた方が多かったのであろう。 植草さんの著作については、500余ページを読み終えるの必死で、十分に理解していない所も多く、稚拙な駄文と思しき感想を紹介して下さり大変恐縮している。
私の周辺でも植草さんの話題になると必ず過去の事件を話す人がいます。 その度にあの事件は作られたもので、植草さんの心情はブログを見たり著作を読めば分かるのだと説明しいる。 行間にそういう思いを感ずることが出来ない人もいることでしょうが、時間をかけてひとつひとつ説いていくしか今は方法がないのでしょう。 そのような思いが感じられる「日本の独立」なのです。
「日本の独立」は既に4刷でしょうか5刷でしょうか増刷されているとのこと。 昨年、亡くなった黒岩比佐子さんの「パンとペン」も増刷されているらしい。(昨年9月小樽で黒岩さんの所蔵書の展示を見ました) 直木賞や芥川賞などという賞が、奇をてらった時代に迎合した、しかも内容のない小説に送られることが多く、また政治家や大学教授、ジャーナリストすらゴーストライターに本を書かせ出版している今の時代にあって、植草さんや黒岩さんの著作はじつに素晴らしいというか、ご本人達の意気込みというか熱心さに敬服してしまいます。
小沢一郎さんのことは、かつての自民党幹事長時代のような状況であったら、私は決して応援するような気持ちにはならなかったでしょう。 座右の銘「百術不如一誠」が昔から変わっていなかったとしたら、私の勉強不足、認識不足ということになります。 でも、色々な試練を受けてこられ、今の小沢一郎になられたのではないかと思います。 そして「国民が一番」に徹する小沢さんに、日本の新しい流れすら感じるのです。 ブログなどネット情報を毎日見ていると、そういう雰囲気がひしひしと感じるのです。 今までのような右翼とか左翼といったくくりではなく、どちらでもない本当に国や国民を思い、まともな船長のもとで日本丸を安全に操舵できる態勢を皆が期待しているのです。 一握りの政治屋、一握りの官僚、一握りの金持ち、一握りの大企業などに日本の行く末を任せるのではなく、国民ひとりひとりの手に戻したいという思いが、昨年から始まった小沢一郎支援デモという形で現れていると思うのです。 今や、政党というくくりすら捨ててしまってもいいのかもしれません。 旧態依然とした社会(社民)党、共産党、〇〇党といった枠にはまっていると、「井の中の蛙大海を知らず」で何も見えなくなってしまうと思うのです。 昨年ピースウォークに参加した時、泊めていただいた地方議員の住まいで、昔オルグ活動など盛んにやっておられた方と出会い、あれは共産貴族だと仰っていました。 菅直人も若い時に市民運動に関わっていた頃は市民目線を持ちあわせていたのでしょう。 いまや民主貴族の筆頭になって、迎合政治に徹して自分の席を温めることしか考えていないのです。 どんな立場になっても市民目線、国民目線、一人ひとりの市民の気持ちに馳せることが出来ない政治家は失格だと思うのです。
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