今日の黒姫は早朝から晴れて、11時頃まで青空に映える黒姫山が綺麗に見えていました。 たぶん今年に入って一番良く見えていたと思われます。
さて、大晦日から来ていた孫が帰り、一時帰国していた息子も昨日赴任地へ戻って、賀状の整理や挨拶などを済ませ、今日からやっと二人だけの静かな生活に戻り、ブログへの投稿作業も可能となったわけです。 松の内は小正月(どんど)の15日頃まで続くようですが、我が家ではすでに明けたような思いになっています。
半世紀以上前の話しになりますが、私が子供の頃は、12月27?28日あたりに家族総出で餅つきをし、母親は煮染などおせち料理の支度、そして年少であった自分が庭の掃除や窓拭き、松飾りなどを済ませていました。 門松そして注連縄、輪飾りは台所、荒神様、トイレ、井戸など生活に関わる要所要所に置いていました。 そして元旦は朝5時起きして初参り。 2日からは年始客が来るので、客間の間の唐紙をはずして大広間とし、炭をおこして火鉢をあちこちに起き、長テーブルを並べておせち料理の重箱や皿を置く。 その時の私の役目は、七輪に載せたヤカンに徳利をいれてのお燗の番。 時々、お客さんからお年玉がいただけるのが唯一の楽しみでした。
菩提寺への付け届けもあったかな? 4日頃になると年始客が少なくなり父親も仕事に入りますので、こちらは鎌倉の母親の実家へ年始を兼ねながら自分は数日間泊まってしばし従兄弟達と遊ぶのでした。 6日頃でしたか八幡様の境内で出初式があって、あのはしご乗りの妙技を観たものでした。 私が実家を出て所帯を持ってからは、両親が健康であった時まで、孫達が集まり、クリスマス会やら餅つき会などを催し、孫達は年寄りからお小遣いがもらえるのでたいそう喜んでいました。
その後自分たちが両親の年代になり、核家族化が一層増して、兄弟との付き合いも薄くなり、集まって餅つきをするというような機会もなくなってしまいました。 そんな中での新しい年の正月三が日でした。
家内は雑煮の餅に納豆をまぶして食べるんです。 これまで納豆は白いご飯の上で食べるものと理解していたので、どうも餅と納豆の取り合わせはすっきりとしません。 きんとんの代わりに安納芋を利用しました。 昔は数の子の醤油漬けがありましたが、そう美味しいものでないので割愛。 色具合はあまりよく有りませんが、伊達巻や蒲鉾はそれなりの品で揃えましたので実に美味しかったです。
やって来た2歳2ヶ月となった孫は、どこまで認識しているか分かりませんが、魚を「すいすい」と呼び好みの食事なので、喜ぶであろうと水族館へ連れて行きました。 たぶん普段食べている魚と泳いでいる魚との違いは分かっていないでしょうが、絵本でよく見ている「ニモ」は喜んでいました。 「ニモ」はディズニー映画のキャラクタですが、通常は「クマノミ」という種類で伊豆半島あたりでも潜ると見ることが出来ます。(クマノミは黒潮にのってやって来るようで伊豆が北限? スキューバをやらなくなってから10年、もうクマノミを見に行くことも叶わないでしょう)
最後に観たのは、ジンベイザメが回遊する水槽の中にイルカを引き入れ、イルカに各種の芸をさせるものでした。 アシカの芸もありましたが、こちらはあまり面白くない。
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