今朝はだいぶ温かく濃い霧が立ちこめ、お昼近くになってもなかなか消えないようです。
先週から、信濃毎日新聞サイトに黒姫の話題が2つ掲載されている。
その一つが、原の閑貞桜であるが、初めて観たのは1990年で、驚嘆するほどの立派な花を咲かせていたが、以後年々樹勢が衰え、毎春、悲しい姿をさらしていることが多くなった。
今年は観に行ける機会がなかったので、桜の咲き具合を確認していないのだが、既に、ここ数年手を入れて来ていると聞いている。 それでもまだ手入れをしなければいけないということは、施しようが足らないということだろう。 以前、ご近所の方がもっと早い時に手入れをしていれば、こんな苦労をすることもなかろうにと、仰っていた言葉が今でも耳に残っている。
シダレザクラの樹勢回復作業始まる
信濃町教育委員会は24日、同町平岡の県天然記念物「原のシダレザクラ」の樹勢回復作業を始めた。樹齢約250年とされ、高さ、根元の幹回りとも約6メートルのサクラは幹の一部が枯れているため、土の入れ替えなどをして成長を促す。
二つ目は、長年続いてきたJR(国鉄)のシュプール号が廃止されるということであった。
仕事先から上野駅へ向かい、19時発の「特急あさま33号」に乗り、長野駅で乗り換え、黒姫駅には23時少し前に到着する。 駅前のお店はすでに閉じているが、このシュプール号の客を待つバスが勢ぞろいしているのである。 夜行列車の場合は早朝に到着していたらしい。
金曜日などは、特急あさまの最終列車は、妙高高原や直江津行きとなり、乗り換えせずに黒姫に来れたが、この夜間の列車になると、外国人の姿も多く、牟礼駅の天狗さんが被っている雪を取って、はしゃいでいたものだった。 黒姫駅前には、バスのほかにも、そういうお客さんを迎えるペンションの車も沢山停まっていたが、最近は閑古鳥と言えそうなほど、スキー客が少なくなった。 スキー人口の減少もあろうが、自家用車を使う人が増えていることも遠因になっていよう。
「さよならシュプール号 20年の歴史、大阪便も廃止」を追記。
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シュプール号については、ウイキペディアに詳しく書かれており、良く読んでみたら、関西方面から来た列車は直江津から信越線に入り、新井、妙高高原駅と順じお客を降ろして、黒姫が終点になっていたとのこと。 黒姫はいわゆる中継基地として、黒姫ゲレンデだけでなく、斑尾高原や戸狩などへバスでお客さんを運んでいた。
列車も、信越線旧特急「あさま」の緑色だけでなく、特急「白山」で使っていた赤っぽいのがあったり、ディーゼル機関車や電気機関車が牽引しているものもあったらしい。(鉄道マニアの方だと、~系で書くのでしょうが、当方そこまで知識がありません)
さよならシュプール号 20年の歴史、大阪便も廃止
JR西日本は、関西圏から黒姫高原(上水内郡信濃町)周辺のスキー場へ行く客を対象にした列車「シュプール号」の運行を今冬からとりやめる。利用者減が最大の理由。スキーヤーやスノーボーダーが新幹線や高速道を使うようになったほか、スキー離れも重なったとみられる。ピーク時はJR3社が運行していただけに、スキー場関係者は残念がっている。
JR東日本、東海、西日本の3社によると、シュプール号は国鉄時代の1986年に運行を開始。首都圏や大阪、名古屋から県内や東北地方の主要スキー場の最寄り駅へ向かい、バスに接続して効率よくゲレンデに行ける、と人気を集めた。
JR東では93年度に29万人、JR西も92年度に35万人が利用したが、その後、減少傾向に。各社は、新幹線開通や高速道整備で移動時間が短縮され、夜行が中心のシュプール号は敬遠されがちになった―と分析する。
JR東は2000年度を最後にとりやめ、JR東海も01年度に廃止。最後に残ったJR西は05年度、大阪―黒姫駅(信濃町)など70本を運行したが、乗客は約1万人にとどまった。
信濃町では、黒姫駅前の飲食店などが「シュプール会」を結成。10年以上前から、シーズン初のシュプール号で着いた客に豚汁やおやき、地酒をふるまってきた。「最盛期は、列車が着くたびに小さな駅が500人以上のスキー客でにぎわった」と小林有一会長。廃止後も、「別の形で活動を続けたい」と話す。
町観光協会の水野洋専務理事は「年配のスキー客は電車の利用が多く、これから団塊の世代の来場を見込んでいただけに残念。対策を考えたい」。信州・県観光協会は「昨年から、子どもにスキーの楽しさを知ってもらえるような取り組みを重視している。子どもたちにスキー人気が広がり、スキー列車の復活につながってほしい」と期待している。
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