今日の暦から : 息抜き上手でストレス解消
「一茶」、「ひねくれ一茶」と読んで来て、先日「藤沢周平の世界」という週刊誌に一茶の西国行脚などの経路図が描かれてあったと書いた。 そんな地図を見たら、一茶が巡った路を訪ね歩くのも一興ではないかと思えて来た。 当時の路を詳細したような資料はないであろうが、一茶句碑があるポイントをつないで行けば、結果一茶の足跡を辿ることになろう。 と思うだけで楽しくなりそうだ。 具体化しようかな?
かつて、そのポイントの一つに出会ったことがある。 旧東海道歩きの際、2002年11月に偶然通りかかった時に見た愛知県知立(ちりゅう)市にある一茶句碑の写真をここに残そう。 知立の当時の宿場名は、池鯉鮒(ちりゅう)宿で、徳川ゆかりの岡崎宿と鳴海宿の間にある。 更に街道を上ると、桶狭間、絞りで有名な有松、笠寺観音、熱田神宮がある宮宿などと旧跡の多い地域である。 池鯉鮒宿は、木綿と馬の市がよくたったと、タイトルの句は一茶がその様を詠った句であるとのこと。 銭叺とは、商人が使うつり銭を入れる篭か袋のようなものを指しているのであろう。 一茶51歳の時に来たと説明にはあるので、最初の西国行脚の時に詠われた句ではないようだ。
グーグルマップを航空写真に切り替えてズームアップすると、松並木とおぼしき画像が見られる。 一茶句碑はこの一角にあった。
2 件のコメント:
知立、懐かしい町です。私の好きだった人が住んでいた町です。52年前渡米する前晩に会いにいきました。彼女の生家は、ふるい町屋で、玄関からはいると土間がありました。典型的な、宿場の街筋にみられる建前です。この家が今でも残っているんですよ。近辺では、この家だけが昔の面影を保っています。50年前にも古いとおもいましたからね、随分、がたついた感じですが、残ってくれたらいいがなあと思っています。
話はとびますが、スパ&スパの管理をひきうけました。「残してほしいですね」「はらださん、どうですか」というようなことから始まった話です。
そうですか、ほぼ半世紀前のはらださんの足跡に少し触れたことになりますね。 松並木は短かったし、高速道路も走っていて、知立は近代的な大都市になっていたと記憶しています。
隣の有松まで行くと、昔の町屋の風情を残しているし、祭に使う山車の大きな車庫があちこちに見られて、ここは昔が生きているのだなと思いました。 数は少ないですけど、日本人が生きてきたルーツをたどるようで、こういう建物や街並みなどが見られるのは本当に楽しみです。
スパスパの件了解です。 そうでしたか! 閉鎖をアナウンスされた理由は分かりませんが、カミーノの実体験から時が経つと、開設時の思いも変わって来るし、情報も古くなるということで、サイト管理が負担になっていたのではと感じていました。
サイトが陳腐化しないように常に更新続けることが必要だと思います。 なるべく頻繁にサイトを訪ねて、自分に出来ることがあるかな?と思って見直したいと思います。
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