コピーライターの大谷峯子さんという方が書いた、「テキヤ一家のおばあちゃんに学んだ10の教え」という本を読んだ。
作者の祖父はテキヤの親分であったと、祖母の生活も夜店稼業に明け暮れていたらしく、作者が成長していく中でのエピソードなどを思い出し記している。
テキヤと聞くと、渥美清が主演していた映画「寅さんシリーズ」をついつい思い出してしまうが、あの映画では実際のテキヤとは随分と違って描かれているらしい。 またテキヤはヤクザと同一視しがちだが、これも全く異なるものと本書に記されている。
テキヤには神農(しんのう)道という特別な掟や美学があるとのこと。 そういえば以前に香具師(やし)に関する本を読んだことがあるが、香具とは仏具や仏画のことでこれを売る人を香具師と呼んだ。 仏法に関する知識が必要であったと武士がこれにあたっていたらしいが、香具にとどまらず商売の幅は広がっていたらしい。 豊臣の残党がうごめく徳川の時代に、身分を明確にするため商売人には屋号が強いられ、小さな弓に矢をつがえて射させる商売、矢場をしていた香具師は的(まと)の看板を出していたが、これにならい「的屋(まとや)」と名付けた所、テキヤと称するようになった由。 従い、香具師、テキヤ、啖呵(たんか)売などは同義語なのであろう。
本書の後段で、作者がコポーライターという自分の仕事を祖母に説明する行(くだり)がなかなかいい。
ということから、私は祖母に、コピーライターという仕事の内容を説明した。
ある品物を買ってもらうために、その物のいいところを強調して説明するための、文句を考える。 また、その商品にあわせて、なにかわくわくするようなおまけやら、売り場の飾りつけやらも考える。 よく売れるように、その商品の楽しい、覚えやすい名前を考えたりもする。 それは、マーケティングって呼ばれている。
というようなことを、あれこれ祖母に説明した。
すると祖母は、こういった。
「つまり、おまえのやっていることも、わしら一家がやってきたことも、おんなじや」
「おばあちゃんは金魚すくいをもっぱらやってきたけど、あれなんかも、ただ金魚屋で金払って金魚買うのんとは、かいもく意味がちがう。 自分の力ですくった金魚、いうのんに意味があるんや。
お客さんに楽しんでもらう、いうこっちゃな。
おまえのやっていることも、おんなじ。
それはなあ、ほんのちょっとしたことなんや。
針金に貼りつけた、たった紙1枚のことなんやで」
「ほんま。 そやなあ!
なんのことはない。 あたしのやってることも、ただ言葉をあれこれひっくりかえしてるだけやもんな。」
「けどな。 その紙1枚、言葉1つが、大事なんや。
たかが紙1枚やけど、ほんなら、おまえも、金魚すくいとおんなじようなアイデア出してみろ、いうたら、なかなかできるもんやない。
紙1枚の不思議さやけど、そこにはなにか、確かなもんがある」
初めに掲げた目次をご覧あれ。 今の代にも通用するではないか。 現代人が、幼少期からこのようなことを学んでいれば、今の社会はもっと落ち着いた明るいものになっていたであろうと思う。 同族企業、二世三世議員などというのは神農道に悖る所作だとも言えることになる。
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