東京・日比谷公園で大晦日から開かれた年越し派遣村のことは未だ多くの人の脳裏に残っているであろう。 あの活動に対し、総務大臣政務官坂本哲志は「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのかという気もした」などと批判したり、長野県知事であった田中康夫やテレビに顔を出す電波芸者も「一部の政党に利用された活動だ」と非難する始末であった。 みのもんたの発言も思慮がない。 しかし、当初失職した非正規雇用者100名ほどが集うという予想に反し、300、500と仕事と住まいを失った派遣労働者が増えていた。 テント村が飽和状態になる中、村長であった湯浅さんは自民党代議士に相談するなどして、厚生省や東京都の施設への収容が図られた。 雨露を凌いだ後、生活保護費の受給から定住場所の確保という段階を経て、再就職のための活動を図ることを目指していた。 そういった援助活動に対する労力は大変なものであろうと思う。
この派遣村村長として活躍されていた湯浅誠さんが書かれたのが本書である。 岩波新書版で昨年4月の出版に対し、自分が昨年買ったのは7刷目のものであった。 それだけ多くの人が関心を持って本書を読んでいるということだ。
本書を開くと、先ず派遣労働者など非正規雇用者の生活実態が示されると同時に、住居を失った人たちはやむなくネットカフェなどを仮の住処としている状況をいくつも実例として挙げている。 そして、雇用、社会保険、公的扶助のセーフティネット(安全網)が機能せずに、すべり台を滑るがごとく貧困の坩堝に落ちてしまっていると説明。 非正規雇用者達は諦念にかられ、貧しさから脱却する力も知恵も持とうとしない。 本人達のそういった意識だけでなく、貧困から這い上がるための親・兄弟・他人の縁や手助けなどの無さを含め、それらを著者は”溜め”がない状態だと言う。
自動車工場などで働く派遣労働者の劣悪な労働実態については、時折報道番組などを見て知っていたが、今回の世界的な同時不況で多くの工場など現場作業は派遣労働者で賄われていることを知り唖然としてしまった。 工場であれば種々生産技術の蓄積が将来にわたって必要であろう。 派遣労働者を切るということは、その技術の蓄積を廃棄してしまうことになり、企業にとっては大きなマイナスになろう。 工場は多くがロボット化コンピュータ化され、極一部の正社員が抑えておれば良い状態を作ってはいるのであろうが、製品の良し悪しの最後は現場で決まるものだと思う。
本書を読み進めていくと、派遣会社も派遣先も労働者を人間と見ずに、部材の一部であり、生産コストの一部としか見ていないと思われる。 昔の口入稼業や周旋屋であれば人材を提供するだけで終わっていた。 しかし、現代の派遣会社は派遣労働者を金儲けの具として利用しているだけなのだ。 寮や宿舎を提供するといっても、本人達が安心して生活できるような低額な住居費で住まわせるのではなく、住居費、光熱費といった費目を追加し、そこからも派遣会社は労働者から収奪していると思われる。 従い、労働者は毎日食うだけがやっとで給与を貯蓄などに回せない。 そのため今回のような急な解雇があると路頭に迷ってしまうのである。
派遣労働や労働者に対し、”仕事なんて探せばいくらでもある”とか、”えり好みしないでヤル気を出せ”と無責任に言い放つ輩(みのもんたなど)が多いが、本書を読めば、そういった言動が的外れであることがよく分かる。 彼等は、小泉・竹中政治の結果、爪弾きされ奴婢のような存在に貶められてしまったのである。 自己責任論を展開する輩は、今の社会の実態を見ずに言い放しているに過ぎず、そこには同胞に対する思いやりも情けもない。 一時、生活保護を受けて立ち直りの機会を提供するのは何故悪いのか、やみ雲に批判する人物の思考の浅はかさを感じてしまう。
また、著者や著者が活動する「自立生活サポートセンター もやい」を貧困を餌にビジネスしていると批判する人もいるようだが、これも当たっていないことが本書を読めば分かる。
今の日本には、派遣労働のほかにも引きこもり、いじめ、登校拒否、自傷行為などなど全世代にわたって多くの問題が万延しているが、これらは全て同じ根から派生していると思う。 つまり、競争社会を是とし競争に勝ち得た者だけを優として尊重する風潮を学校や企業ばかりでなく、社会のあらゆる場所に万延させてしまった結果なのだ。 企業や官僚のヒエラルキーをどれだけ上位に上がられるかが重視され、上がれた人物ほど優秀で裕福な存在となり、そのレースに取り残された者は負け者として、その存在すら排除されてしまう。 金だけが物をいう社会を作り上げてしまった結果である。 そういう意味でも、戦後政治を担って来た自民党および公明党など与党の政治責任は大変重いものがあり、自ら総括そして路線変更を早期に図られなければならない。
「年越し派遣村」の名誉村長には弁護士の宇都宮健児さんがなっていたが、宇都宮さんはサラリーマン金融禍に苦しむ人々の救済に長年携わって来られている。 「週刊金曜日」の1月9日号が届いたら、なんと宇都宮さんが編集委員に加わったのであった。 筑紫さんが亡くなられて編集委員はどうなるのかなと気になっていたのだが、宇都宮さん(田中さん中島さんも)が加わり期待が持てるように感じられた。
これほどに思うのは、宇都宮さんは家内の中学時代の同級で、生徒会役員として一緒に活動したことがあったと、彼の人となりを家内から聞いていたからであった。 現在は共に住む世界が違うので親交をはかることはないが、家内が中学生時代に感じたままの姿で活躍されているのだと聞いて応援の声を上げざるを得ない。
因みに、週刊金曜日の今号は、「考える」がテーマである。 日本人一人一人が考え、社会の様子に聞き見る姿勢を持たなかったら、社会は老廃したものになろう。 自分達の子や孫に豊かな日本を残すためにも、社会の不正義に対しノーと言い続け行動することが大事である。
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