昨年12月にオルガン演奏会開催のことを書いたが、その中に記したオルガン演奏者であるダミアン原田師からメールをいただき再び演奏会があるとうかがって、昨日、その演奏会へ出かけて来た。
プログラムは、ダミアン原田師によるオルガン演奏、永田砂知子さんの波紋音演奏、ダミアン原田師のコト・モノコード演奏、詩曲「あながたうまれたひ」朗読とお二人の合奏という形で進んだが、今日の長崎原爆の日にちなんで選んだという「怒りの日」(/日々-聞き間違いしているかもしれない)という曲を最初に演奏された。 現しようのない被災に対する怒りと哀しみを鍵盤に向けた曲だと思うのだが、理解は難しかった。 もう一度聞きたいと思ったが、CDにはまだ収録されていないらしい。 オルガンのあとに演奏されたコト・モノコードという楽器は細長い箱の上に琴のように弦が張られ柱で調律し、箱の底にも30本の弦が張ってあるとのこと。 ダミアン原田師はヨーロッパの楽器であるシターも演奏される(以前のCDに収録されている唱歌「故郷」は心に沁みる)が、その延長線上でこの楽器を発案されたのかもしれない。
次に永田砂知子さんが演奏された波紋音は、鉄から鍛造された球形の上部にスリットが入った楽器から奏でられるもので、不思議な音色を持っていた。(こちらのサイトで実際の音が聴けます。) 東南アジアの方にある楽器のような気もしたが、スリットドラムという、一つとして同じものがないとう創作楽器だとのこと。 従い、曲も演奏方法もそれぞれご自分の感性から生んでいくものらしい。 「生まれる前の記憶がよみがえる」とか「胎内にいるようだ」といった感想が聞かれるそうで、何か眠気を誘ってくれるようにも思った。 事実、演奏会場では首をたれてお休みになっている方々が見られた。
最後にお二人のセッションがあったが、ダミアン原田師の演奏振りは、チベットボールを奏でたり、バチのような棒で弦をたたいたり、失礼ながらさしづめ悪戯小僧が手近な物をあれこれ試して音を楽しんでいるようで、実に楽しいご様子であった。 ジャズ演奏でアドリブというのがあるが、それに近い雰囲気を持っているようにも思えた。
フランスのヴェズレーで家内が以前にお会いした縁で、終演後、ダミアン原田師と立ち話をさせていただいたが、楽器演奏ばかりでなく知己が世界に広まっておられるようで、落ち着いた所でいろいろ話をうかがいたかった。 帰りに販売所にあったCD1枚を購入した。 タイトルは、「時を超えて Compassion」。 オルガン曲というと、宗教音楽とかトッカータとフーガ、あるいはバロックという固い印象があるが、このCDは静かにリラックスした時間に相応しいような曲ばかりである。 特に最初の「マラナ・タ」がいい。 美しさと静寂の中に湧き上がる力を感じつい歌いたくなるというか、一種涙さえ憶えてしまうのである。
副題に「Organ Meditation」と記してあるように、瞑想とか黙想という視点で捉えても良いのかもしれない。 アルバムカバーに記載されいるダミアン原田師の「はじめに」に感じるものがあり、その一部を残した。
わたしのオルガンは祈りです。沈黙の祈りの方がとてもすてきです。
でもわたしの音楽は沈黙の音楽になります。
オルガンをおおう闇は静かな色です。
今まで生きたこと、悲しかったこと、うれしかったこと、くやしかったこと、
つらくて言葉にもできないあの日のこと、思い出してください。
そしてわたしのオルガンと一緒に泣いてほしい。
なお、本CDは女子パウロ会オンラインショッピング(トップ頁で商品別一覧CDを選択、さらにサブカテゴリ・メディテーション)で購入することも出来る。
昨日の演奏会でただ残念だったのは、弾かれたオルガンが電子オルガンであったことで、やはりこんなパイプオルガンで聴きたかった。 次にはそんな機会に出かけたい。
ついでにダミアン原田師の関連記事がないかと探してみたら、ギタリスト國松竜次のブログの7月8日にあり、また、フィリア美術館ブログの6月10日にも活動の一端が記載されていた。
0 件のコメント:
コメントを投稿