昨日は東京・神田の岩波ホールへ出かけ、「ポー川のひかり」というイタリア映画を観て来た。 映画は、鍵が放置されているのを不思議に思った守衛が書庫を開け、床や机に広げられた古文書に太い釘が打たれている現場を見つける所からはじまった。
ちょっと謎めいた始まりであったが、知識だけを優先させる学問の場に疑問に思った大学教授の仕業で、大学を抜け出し、たまたま寄ったポー川のほとりにある廃屋に住むことで、地元住民との心の会話を見つけるのであった。 BMWの高級車に乗って、それも橋の下に隠すように留めて鍵を川に棄てたり、その後にトランクから衣類などを出す。 身分を示す物を川に棄てたと思ったら現金やクレジットカードが出てくるなど、すこし辻褄が合わないような場面があったが、それらは見過ごそう。
観終わって消化不良を起こした感じの映画であったが、あとでゆっくり思い起こすと、教義とか知識とか情報とか、そんな物より、もっと市井の人々との生の心の交流が大事であると監督は訴えていると思った。
警察に囚われて、司祭職の老教授とのやりとりが映画のポイントになっていたと思うが、その台詞が思い出せない。 レンタルDVDが出たら見直してみたいと思うが、9.11や地域紛争など、不正義が行われ多数の民が死に飢え苦しんでいる世にあって、神は何故黙ったままなのか?というテーゼを残していたようにも感じた。
なお、主演俳優はイスラエル生まれで超有名企業のCMにも出ているらしいが、この映画では台詞は別人だとか、ポー川のほとりに住む住民の言葉はイタリア語でもかなり訛のあるものらしいと記載しているブログを見た。 また、後半に流れるミュートを効かしたトランペット曲の題名を思い出そうとしたが分からない。 たびたび聞いた曲なのに。 上映は9月までだと思うが、通常一日3回上映の所、現在はお盆休みを意識されたのか4回上映している。 パンフレットの表面と裏面を参照下さい。(下のyoutube映像と重なってしまいました。別ウインドウを開いて下さい)
邦題「ポー川のひかり」は間違いであろう。 監督の意思を尊重するのであれば、原題通り「百本の釘(CENTO CHIODI)」とすべきであったと思う。
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