3月11日の被災から2ヶ月。 まだ避難所での窮屈で不便な生活を強いられている人々がたくさんおられる。 遅々として進まない政府の救済対策。 菅直人が自分の歳費を返上するということだが、そんなことが求められているのではない。 東京電力の役員が返上することとは意味が違うことを本人は分かっていない。 一日でも早く不便な生活から安心な生活へ移してあげることを菅直人は第一に考えるべきです。
さて、黒姫は昨日も今日も雨天で、外仕事はできず、それこそ山菜探しに野を歩くわけにもいかず、家の中で無為に過ごしています。 まぁ、休養になるといえばそうなのですが、できれば薪割り作業中のとっこを早く片付けたい所です。
雨天だというわけでもないのですが、今日はあまり話題がなく撮り溜めた写真を見ていたら、スペインの巡礼路Caminoを歩いてから5年が経っていることに気付きました。 5年前の4月21日から5月27日にかけて37日間で800余kmを歩きましたが、若い人達は30日ほどで歩き通しているようです。
写真を見ると、世界中の色々な人々に出会い、こんな人やあんな人、あの人のイビキには随分と悩まされたとか、走馬灯のように色々思い出されます。 大変な歩き旅でしたが、でも豊富な体験ができ楽しかったです。 短期間に歩き通すことだけに集中していた日本の若者にも会いましたが、途中途中での想いや出会いがなければ、ただ歩いたという事実だけに終わってしまうことでしょう。 海外で一般の市民と出会い、身振り手振りで時には絵を描いて意思の疎通をして来たことが、人としてのつながりにもなっています。
ダライ・ラマ法王が講演される度に、日本の若者にはもっと英語を学んで海外へ行ってほしいと仰っています。 生き方も考え方も異なる人々との出会いの中で学ぶことが多いはずです。 今の日本を見ていると、日本という限られた世界の中で持論を展開している政治家や学者が大手を振っていますし、ネットの中では顔が見えないからでしょうか、人間性を疑うような言葉遣いや表現をしているブログや掲示板などに出会うことがあります。 思考の狭さというのでしょうか、料簡の無さを感じることがたびたびです。
海外へ行ったからといって、結局は人間が存在する社会には誤解や思い違い、争いや行き違いなど多々あるもので、日本が優れているとか海外の方がいいとか、そういう判断の視点はないと思います。 でも、そういう中での付き合いから、人間にとって大事なことは何であるかおのずと分かってくると思うのです。
3月11日の地震、そして福島原発の事故に際し、20年前に2ヶ月間我が家で面倒を見たアメリカの留学生から、被災していないかと心配して電話をくれました。 このように、おもんばかる心(思慮)、思いやり、人間愛、誠実さ そういったものを我々は失わないようにしたいと思います。
旧市街の教会横、時計台(尖塔?)をくぐり出発
はじめはなだらかな緑地帯が続くも、間もなく厳しいピレーネ山脈越えとなる
最初のアルベリゲ(宿)のオリソンですが、近すぎてここには泊まらず
リンゴの白い花が咲く中、馬や牛、羊などなど出会いました
途中で出会った日本人お二人。我々より年上なのにどんどん先を歩かれて行きました。
自転車を利用した巡礼者もおります。 ママチャリに乗った真丸の女性が追い越して行きました。
牛が通る道であったり、川のような道であったり、車が通る道であったりでした。
フィンランドとドイツからの女性たち
スウェーデンからの女性は体が大きく、ついついスティーヴン・セガールを思い出してしまいました。
一方通行の狭い橋に信号がありました。
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