たまたまアマゾンを見ていたら、Breaking Night というアメリカの本を見つけ、その内容は、ドラッグに溺れた母親と娘がホームレスになっていたものの、その娘が一発奮起し、駅構内などで猛勉強をし、ハーバードのMBAコースに進み資格を取得したというものでした。 一種のサクセス・ストーリーでアメリカ国民の多くが好むノンフィクションだと思うのですが、ちょっと面白いかなと思い原書のペーパーバックスを購入することにしました。
日本語訳も出版されているようですが、販売価が二倍するし、たまには英書を読むのもいいかなと思った次第です。 でもどこまで根気が持つかは分かりません。
MBAといえば、以前日本の大学にもコースを作ろうという話がありましたが、最近はほとんど聞くことがありません。 法科大学院ですら、募集定員に満たない大学があるとのことで、日本ではそのようなコースを作っても希望者が集まらないでしょう。 というか英語だけの授業であったとしても、日本で受講するのとアメリカなど海外の大学で受講するのとでは、本人の心構えや真剣さもおのずと異なってくると思われます。
我が家でも、息子が就職後企業内のMBA選抜コースに一旦は合格したものの、人事配置などで取り消しになり、本人はどうしても勉強をしたいと退職し、在職中に貯めた貯金を使って、アメリカのMBAコースに進みました。 すでに結婚していたので、お嫁さんの尽力は大変なものがあったでしょう。 図書館で夜中未明まで勉強して、息子を車で迎えに行くこともたびたびで、教科が追加されるごとに費用の支払いがあり、たぶんそれまでの貯蓄を殆ど払いつくしてしまったと思います。
2004年6月その卒業式があるというので私たち夫婦はシカゴ行きの便に乗りましたが、日本からMBAコースに行っている人の多くは銀行や大企業からの留学で、彼らは給料が支払われての勉学でした。 それに引きかえ息子は全て自力でしたし、コース後半では卒業後の就職先を探さなければならず、精神的な負担も大きかったと思います。 でもそういった体験が今の息子を作らせてくれたと思ってます。 若いうちの挑戦はだれもが為すべきでしょう。
初めて訪ねたアメリカの地で出会ったのは反旗の星条旗で、空港で多くの乗客がくぎ付けになっているテレビを見たら、ドナルド・レーガン元大統領の葬儀の模様でした。
卒業式の会場は、先日破産したイーストマン・コダックが寄贈したミュージアムで古式ゆかしい立派な建物でした。
我が家に残っていたコダックフィルムです。 Vivid と書かれていますが、当然撮影期限を過ぎていますのでぼやけた写真しか撮れないでしょう。
会場には、私の好きな黒人歌手 Bobby McFerrin のポスターが掲示されていました。
卒業式の夜はパーティー。 アジア人はかなり壁の花でしたが、皆さん楽しんでいて、最後は列をなして電車ごっこのようなことをして賑わっていました。
次の日からは息子の運転でハイウエイを飛ばして(と言っても結構オービスがありました)、ナイアガラ滝やフィンガーレイクスのワイナリーを巡りました。 アメリカのワインもなかなか美味しく、これでもかと試飲させてくれ、日本の地方より素朴な人が多いように感じました。
帰り道で、たぶんT型フォード(T-bone?)だと思うのですが、ナンバーをつけた車が止まっていました。 アメリカでも地方に来なければこのような旧車には出会えないでしょう。
2 件のコメント:
2004ですか、私の息子もオースチン・テキサスでMBAをすませた年でした。彼も自費でしたが、授業料は親が出しました。当時アメリカは就職難でした。ニューヨーク州でも素朴な地方を旅行されてよかったですね。
この2ヶ月ほど、特定のIDを入力しないとコメントできない設定になっているのに気付き修正しました。
アメリカ、スペイン、フランス、そして韓国でも田舎に行くと大変純朴というのでしょうか、たいそうな歓迎を受けることが多かったです。 その点、日本の田舎はだんだん素朴さが少なくなり、心を感じ合う機会は少なくなっているように思えます。
日本のバブル経済終焉以降は、若者達の就職はどこも厳しかったと思います。 MBAを終えても希望する職種は少なく、3つ目の正直というのでしょうか、数年を経てやっと本人のやりたい職場が見つかり、現在は落ち着いているようです。
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