お知らせ

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*自戒を込めて-> テレビ(大手メディアを含め)はバカ箱ウソ箱ニュースやワイドショーからは嘘を植えつけられるし、思考痴呆にもなります。

日本の政治や社会を、自分の眼で見て、自分の頭で考えるようにしたいものです。





「公共放送」と名乗っているNHKや態勢迎合の低俗局(フジサンケイや読売)、大手新聞社(朝日・毎日)等は時の政府になびくような番組や紙面作りをし国民を騙し洗脳しているのです。 「ゴミ箱」同様の「マスゴミ」情報は信用に値するものであるか、自分の頭で判断したいものです。

*ネットニュースにも、偏狭(偏狂)新聞社やテレビ局のものが掲載されています。 やみくもに信用しない、鵜呑みにしないことが大事ですね。

*東京新聞(中日新聞)、日刊現代、信濃毎日新聞、長周新聞などややローカルなメディアから、今の日本をチェックしましょう。



人と防災未来センター

*2012年6月、ブログ「続・黒姫高原はんぐろ日記」を開設し、自宅サーバで運用してきたブログ「黒姫高原・はんぐろ日記」の記事等をこちらへ移行しました。 2012年5月以前の記事に載せた写真等はおいおい移行しようと思っていますが、当面ブランクのままの表示となっています。 また従前から開いていたホームページ「黒姫高原・コム」は2015年1月に閉鎖しました。

*過去に所有したドメイン名 kurohimekogen.com, kurohime.com, kurohime.info は順次放棄し、当ブログへの転送設定も停止しております。

*新聞の切り抜き等で拡大表示しても文字の判読が難しい時があります。 そのような場合は、切り抜き画像をパソコンにダウンロードしてから表示されると読みやすくなります。

*お問い合わせメールは、kurohimekogen●gmail●comへ(●は文字を入れ換え、すべて半角で)

*↓時々、先日付の投稿があります。
 下へスクロールして直近の投稿を確認して下さい。

***掲載した主な画像(写真)の上にカーソルを置きクリックすると拡大されて文字が読みやすくなり、さらにクリックするか当該画像右上のXをクリックすると元のサイズに戻ります***


(間もなく参議院議員選挙がはじまります。)
25年デフレが続いている日本で、自公政権は国民の生活を一顧だにせず、消費税に見られるように搾取を続けています。 彼らは与党政治屋や大手企業経営者の栄華が維持されれば良いと思っているのです。 一般市民が現状をよく見定めて、我々の生活の底上げを真面目にしてくれる政治家を選ぶ必要があります。
自民党、公明党に加え、彼らの補完勢力である、維新、国民、参政党などにも騙されてはなりません。 頼りないですが立憲、共産、社民、れいわ新選組の候補者の中から選びましょう。

2012年5月28日月曜日

ルバーブジャムとケーキ

福島原発事故を検証する国の事故調査委員会に参考人として出席した、官房長官であった枝野も総理大臣であった菅も弁明に終始するばかりで、みずからの責任の所在についての認識が全くありません。 一時帰宅していた浪江町の男性が行方不明となり、将来を悲観したのでしょう、今日、自傷した姿で発見されたとのことです。

行政が被災者を手あつく保護し、再生への確かな援助策を施していれば、このような二次三次被害は発生しなかったはずです。 これは、国の棄民政策、行政の怠慢によるものなのです。
菅や枝野にはその認識が全くなく、かかる被害を増長させた民主党政権は、その責任をとって退陣すべきですし、総選挙などで国民にその信を直ちに問うべきなのです。

さて、黒姫では5月連休頃に田んぼに水がひかれ、今頃は苗植えが終わった頃だと思います。 と同時にカエルの鳴声が賑やかになって、山の緑が徐々に濃くなり、春から初夏の装いに移りつつあります。 そろそろタケノコ採りも始まり、甘い香りを放つアカシアの花も開きつつあることでしょう。
そんな中、先日、知人にお願いして黒姫の特産品の一つであるルバーブを送ってもらいました。 4月下旬、まだヒョロヒョロしていたルバーブの茎は日ごと伸びてきて、5月から6月にかけて最初の収穫期が来ます。 その後も間引きする形で根を傷めないように採り、最後の収穫は10月頃で、霜が降りるようになると、葉っぱは萎えるような枯れ方をしてしまいます。

我が家の畑のルバーブは夏の楽しみにし、今回、送っていただいたルバーブは茎が赤い所ばかりで、早速家内はジャム作りをしました。 従前は適当に刻んで砂糖をまぶして煮込んでいましたが、今回は途中にルバーブを追加しました。 こうするとジャムの中にルバーブの塊りが残り、食べた時の感触が口に残ると同時に酸味が余計に引き立つ感じがします。 またレモン汁を入れることで、赤味を際立たせることもできます。






7月になると、ブルーベリーの収穫が始まり、ブルーベリーもジャムにすることが多いですが、トーストにぬった時の舌の上での感触はルバーブの方が一歩抜きん出ているように思われます。
最後に残ったルバーブで焼いたのが、ルバーブ・ケーキ。 北海道・十勝産の発酵バターで焼いたら旨みが一層増しました。


iPhone , iPad を最新iOSでJailbreak しました

(追記)Jailbreakers.infoによれば、iPhone4向け謎のファームウエアupdate(9B208)に対応したAbsinthe 2.02がリリースされた由(私のは9B206でした) 5/30、さらに2.04がリリース。(追記了)

現在、アップルのiPhone 3GS , iPhone 4S , iPad 2 の3台を使用していますが、Jailbreak ツールの公開状況に合わせ、3GSは紐なしでiOS5.1 でJailbreakし、4SとiPad 2 はiOS5.01のまま使って来ていました。

今回、iOS5.11に対応したJailbreakツール Absinthe 2.01 がリリースされたとJailbreakers.infoで知り、早速、手持ち機器の脱獄処理をしました。
通常のOSアップグレード(かつ復元)処理でiOS5.11に上げてから、Absinthe 2.01を起動してしばらく待つと、iPhoneやiPad画面にCydiaアイコンが現れますので、Cydiaを起動してUserを選択すると、しばらくの間Preparing Filesystem処理が行われCydiaは自動的に閉じます。
これからが大事な処理で正しい方法かは分かりませんが、まずCydia でSource情報を追加してから、PkgBackupをインストールし、これまでにバックアップしておいたJailbreakアプリのRestoreを実施しました。
それからMobile Terminalを起動して、ユーザーとアドミンのパスワードをalpineから独自のものへ変更し、OpenSSHを削除して作業はほぼ終了。












だいたいこのような流れでしたが、3GSだけは、当初のOSアップグレードの途中でエラーとなってしまいましたが、Hostsファイルを書き換えて、あらかじめダウンロードしておいたiOSファームウエアを使って更新する形でアップグレード処理したら問題なく終わりました。 下記のメッセージは従前のOSアップグレードでも出ることがあるそうです。








iOS5.1から使えるようになった日本語Siri(3GSは元々非対象)を初めて試してみましたが、これってどんな場面で利用するのでしょうか? しゃべった言葉の認識度はかなり良いように思われますが、答は全く期待したものではありません。 Siriが認識してくれるように質問の仕方に苦労するより、ブラウザなどで文字による検索をしてしまった方が手っ取り早いように思われました。










これまで色々な形でJailbreakツールを利用して来ましたが、開発にかかわる時間や人的な努力は相当のものに思われ、今後アップルがOSを更新するたびに、穴を見つけさらなるツールの開発をしてもらわなければ、Jailbreakアプリを使うことができず、そのための励みになればとDonationを送ることにしました。 最初は10ドルでいかな?と思ったのですが、換算して800円では少ないと思い20ドルをPayPalから送金しました。 ドネーションというのは、特に日本においてどの程度行われて(送金されて)いるのか分かりませんが、今後の開発への動機付けにと、ツールを利用させてもらうお礼の意味をも含めたわけです。
アップルは今年中にもiPhone 5の発売に合わせiOS 6 をリリースすることでしょうから、このJailbroken iPhone(iPad)が使えるのはほんの数ヶ月。 イタチゴッコのようなアップルとDevチームの開発はどこまで続くのでしょう?




2012年5月26日土曜日

映画「The Great Debaters」を観る

 たまたま通りかかったレンタルビデオ店の棚で見かけた映画「The Great Debaters」に興味が魅かれ借りてきて観ました。

 デンゼル・ワシントンが監督・主演している映画で、1930年代のテキサスにあって人種差別が激しい中、武器ではなく言論で闘い合おうという教師の下に集まった黒人学生が他校へたびたび他流試合に出かけ、良い成績を得ながら、最後は名門ハーバード大学の学生を論破するというものでした。

 最後の場面では、「黒人がリンチを受けている場に出会い漸く逃げてきた自分たちの行動を分析しながら、法律よりも正義に基づく生き方が必要ではないか」、という内容であったと思います。 なかなか感動的であったし、最後は本人の能力に任せるという、遠くから見ているだけの教師(デンゼル・ワシントン)の姿が印象的でした。

 パックス・アメリカーナを標榜する、この半世紀のアメリカという国の姿には相容れないものを感じますが、この映画に見られるようなディベートの中から互いに理解し合う、成長し合うという人々の姿には、底の深さがあるというのか共感するものがありました。

The Great Debaters

 

The Great Debaters

 

The Great Debaters

 

○The Great Debaters - Full Trailer (HD)

 

○The Great Debaters - Jurnee, Nate, Denzel "Cool to be Smart"



2012年5月25日金曜日

里山散歩 天園から散在ガ池公園へ

 歩くことが健康に一番良いそうなのですが、主住場所で日ごとパソコン画面ばかりを見ていると、怠惰な身となってしまい外出が億劫になってしまいます。 これではまずいと気分を一転させて、昨日は里山歩きに出かけて来ました。

里山歩き

 歩みは慣れた道へ自然と向かい、いつもながら鎌倉を目的地とする歩きになってしまい、その道は住宅地や団地の脇や高速道路の高架下を通り、生活音や車の走行音が聞こえてくるような道で、黒姫のように自然溢れる道ではないのです。 でも、「ちょっと来い」と鳴くコジュッケイやウグイスに加え、コゲラでしょうかムクドリでしょうか、ギィーギィーという韓国でよく聞くハシブトガラスのような鳴声も聞こえていました。

里山歩き

 途中で一瞬道を失い、ハイカーの方にうかがうと一緒に同道しましょうということになり、その方は毎日のようにどこかの道を歩いているとのことで、途中から散在ゲ池公園を案内してくださることになりました。

 散在ゲ池は、鎌倉市の北部に位置しており、バスを利用するとなると大船駅が至便のようですが、管理が神奈川県に移って、呼称が「鎌倉湖」に変わったそうで、バスの行き先や地名などには鎌倉湖が使われているようです。 うっそうとした木々に囲まれた公園で、住宅地の側にこんな公園があるというのがちょっと不思議でした。 壁面にへばりついて生息しているイワタバコの花が綺麗だそうです。 そして、カエデの木があちこちに見られましたので秋の紅葉が楽しめることでしょう。 湖畔(池畔)はごく一部ですが、そこには狭いながら桜の木も植わっていました。 隣接する私有地にはホタルが生息しているとのことでした。

里山歩き

 最後は、荒井沢市民の森にある皆城山という標高100mほどの山を越えて帰って来ました。

 (荒井沢という地の集落はすでになく、「洗井沢」の方が良い感じがすると呼称を変えて使用することもあるようですが、昔から続いてきた地名などは残してほしいものです)

 地図にも載っていない、地元の子供達の遊び場のような山でしたが、なかなか自分で見つけるのは難しく、先人の案内のおかげでした。 おかげさまで自分のウォーク・レパートリーが少し増えた感じがしています。



2012年5月22日火曜日

我が家の金環日蝕は不発でした

 だいぶ前に日蝕グラスを購入して、昨日は金環日蝕を楽しみにしていたのですが、残念ながら主住場所ではしっかりと雲がたちこめ、時折雲間から太陽がうっすらと見えていたものの、7時30分から35分過ぎという肝心な時間帯では雲が切れずに、日蝕を全く鑑賞することができませんでした。

solar eclipse

 

solar eclipse

 しかたなくUSTREAMのあちこちの中継映像を見ながら、日食の間は日光が減少して暗くなっているのではと、部分日食であったと思われる黒姫のカメラをのぞきましたが、日食前の状態とほとんど変わりはありませんでした。

solar eclipse

 

 日中になって晴れ間が出てきましたので、気分一新にとカメラを持って近くのバラ園へ出かけて来ましたが、もうこの時期はバラの最盛期を越えているようで、花弁が痛んだり落ちている様子があちこちに見られました。 そして家に戻って写真をチェックすると花弁の傷みがあちこちに見られ、殆どがボツになる写真ばかりでした。 花の名前はなかなか覚えられませんが、見たバラの中に二コールという種類がありました。 黒姫の赤鬼と自称されるニコルさんと同じ名のようで英文字もNicoleでした。

rose

 

rose

 

rose

 

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rose


2012年5月18日金曜日

デジタルコードレスファックス機を入れ替えた

 昨日16時頃から22時頃の間、当ブログのシステムがビジー状態となって、ネットからのアクセスが出来なくなっていました。 検索サイトによるロボットエンジンによるものか、はたまた嫌がらせのアタックを受けていたのか、その原因は分かりませんが、CPU稼働率が100%となってしまい、通常のネットアクセスに反応しなくなっていたように思われます。

 そんな時のために、特定のアプリがCPUを100%使用せずに70%程度に制限するアプリを常駐させているのですが、それでも間に合わない位に何本ものアプリが起動していたのでしょう。

 サーバから離れた場所にいる時は手の施しようがなく、ほとぼりが冷めるまで待っているしかないのです。 自分で解決するのは至難の業ですので、こうなると自前のサーバは止めて、ブログサーバを提供している大手のサービス会社を利用することを真剣に考えなければいけないと思っています。

 さて、先月にWiFiルータ機能の付いたアップルのTime Capsuleを導入し、二階の自室に置いているのですが、一階に降りると無線LANの電波が弱く、しかもコードレス電話と干渉し合ってしまい、双方とも反応が遅くなっているように思われました。

 そこで無線LANに影響のないコードレス電話機がないかと調べていたら、パナソニックが1.9GHz帯を利用したDECT準拠方式のファックス電話機を今月販売すると知りました。 たまたまクラブ・パナソニックでモニター販売があって申し込んでいたら、2万円ほどの価格だと、市場の予想価格とほぼ同じでしたので購入することにしました。

fax

 今日、そのファックス機が届いたのでした。 現行機に登録してある電話帳などをリスト印刷し、あらためて新しいファックス機に一つ一つ入力作業を行ったのでした。 我が家では、ナンバーディスプレイを利用し、電話帳に登録してある先からの電話にしか応答せず、不明な相手に対しては録音内容を聞いてからしか電話に出ません。 これはセールスや不愉快な電話が多いがための防衛策なのです。

 新製品ということで、電話帳や留守録、また通常の会話内容もSDカードに保存できる機能など、種々改善されているようなのですが、一つ難点がありました。

 これまでのファックス機は受信したファックスをメモリに保存し、これをディスプレイで確認し、不要なものは印刷せずに消去していました。 今回のファックス機はメモリ保存は出来るのですが、液晶画面で確認することはできず、紙に印刷しないと内容を把握できないのです。

 ファックスを受信することはそう多くはないので、仕方がないと諦めればすむことでした。 あと電話帳に登録できる件数が150件と現行機と同じなのです。 できれば200件、欲を言えば300件ほどの登録が可能になるようにしてほしかったです。

 当初の目的の、無線LANとの干渉解消ですが、iPhoneの受信レベルが上がったことや、子機の反応が良くなったことを見ると、導入の効果はあったようです。



2012年5月17日木曜日

民主党党員・サポーター登録 考慮中

 植草一秀さんの5月7日の記事に「民主党党員サポーター登録は政権奪還の第一歩」という記事があり、9月の民主党党首選で小沢一郎推薦への一助になればと思い、一昨日、小沢一郎さんのサイトから登録(用紙送付依頼)を行いました。

 現在の野田政権は、社会保障と税の一体改革と言いながら、社会保障の具体的改革策は全く無く、大企業や金持ち優遇税制に拘泥し、一般市民に重税を課して、何が何でも庶民の懐から毟り取ることしか考えていません。

 津波被災者への救援策や福島原発事故による被爆住民への篤い支援も行われておらず、原発周辺の子供達は放置されたままなのです。 菅直人、野田佳彦と、棄民政策を続けている民主党政権に対し支援する気持ちは全くないのですが、行き詰った日本を造り直せる人は小沢一郎さんしか存在せず、9月の流れを変えることができればと思い登録用紙を請求したのでした。

 もし小沢さんが政権のトップに就いたとしても、我々一般市民が期待している政策をしてくれるかは分かりませんし、その時になって、こんな筈ではなかったと思うことがあるかもしれません。 でも、瓦礫処理や復興策は企業を儲けさせ、原発事故は東電任せで原発政策に対する国の抜本的な政策もなく、若者が安心して仕事に就ける場も改善されず、そのような充満する閉塞感を霧消させ、日本を良くしてくれる政治家は小沢さん以外にいないと思うからです。

 でも、この所、小沢さんが愛知県知事のパーティーに出たり、東京や大阪の長と会うとか会わないとか喧伝され、また民主党を離党し新党を作るかもしれないという噂などに接し、民主党への登録をしても良いのか考えあぐねてしまっています。 どうせサポーターだから2千円の出費なのですが、2千円でも野田のために払ったことになったら、無性に癪に障るものなのです。

民主党登録

 

民主党登録


2012年5月16日水曜日

仙台の石窯パン工房パンセ

 仙台(宮城県)の名産もしくは土産といったら、萩の月ずんだ餅笹カマ、食通でしたら牛タンをあげることでしょうが、個人的にはホヤを賞味したかったです。 でも地震の影響で魚介類の生態は狂ってしまっているでしょうし、漁港が破壊され漁船が流されてしまって漁が全く出来ていない現状ではわがままを言うわけにはいきません。
 遊びで出かけたわけでもないし、ガソリン代や高速道路代など相応にお金がかかりましたので、その他の出費は抑えることとし、名産にはまったく目を向けずに帰って来ました。
 そんな中で、地元の方から聞いた、石窯パン工房Pensee(パンセ)のパンは首都圏の名の知れたパン屋と比べても遜色ないというか、それ以上に美味しいパンを販売していると知りました。


私たちが訪ねたのは、南中山本店でしたが、チェーン店(支店?)が市内に全部で8ヶ店あるそうです。 食事代わりでしたので、総菜パンや菓子パンを中心に食べましたが、どれも味がよく、のど越しが良いというのか、食べた後に変な味や匂いが口に残りません。 後味がいいということは、たぶん材料などを吟味している結果だと思われます。 悪いバターや油脂を使っていると、私の口内には嫌な味が残ったり、唇が荒れるような感触が生じますので、すぐに分かるのです。
 そして値段が安いというか相応の価格なのです。 最終日には帰宅時の食事用にとあれもこれもと3千円も買ってしまいました。 ラスクも大変美味しいです。
 こちらは野沢菜パンで、今川焼のような形をしていて、中に野沢菜が入り、表面にはゴマを散らしています。 野沢菜お焼きの皮をパン生地に変えたもので、これもなかなか美味しいと思いました。 ただ、2度目に食べた時はちょっと塩っけが強く、また焼きたてで生地が柔らかく、初回ほどの感動はありませんでした。 時間をおいてから食した方がいいように感じました。


 都心にかかわらず、全国のターミナル駅やデパートなどには有名なパン屋さんが軒を連ねていますが、名前ほどに感動することは少なくがっかりすることの方が多いです。 数十年前に食べたポンパドールのチーズパンはどこを千切ってもチーズ片があり、大変美味しかったもので、わざわざ横浜・元町へ買いに出かけたものでした。
 と言いつつも、我が家でパンを買うことはそう多くはありません。 40年の間、子供には良い食事を与えようとして来た家内は、パンやケーキも焼いてきています。 子供達が巣立ってから焼く機会は少なくなりましたが、その間に味わった自分の舌はしっかりと残っており、今でもまがい物を判断することはできると思ってます。 そんな舌でこれまで私が気に入ったパン屋さんはそう多くはありません、
・乗鞍高原パン工房 ル・コパン
   昨年、閉店していたんですね。 天然酵母を使ったハード系が大変美味しかったのに、非常に残念です。 と言いつつも、高速を松本で降りて乗鞍へ向かうのはちょっと遠い。
・新札幌のベッカライ・ドルフィー
   ライ麦、クルミが入ったヌスバウムは最高に美味しい。
仙台の石窯工房パンセ
   次回は食パンやフランスパンなど固いパンを味わってみたいです。


2012年5月15日火曜日

被災地の写真から

 一昨日に掲載した写真では津波の被災地の現状が分かりにくいと思い、別の写真を掲載しました。


被災地のごく一部しか見ておりませんので、全ての地域について言えることではないでしょうが、病院や学校などの大きな建物を除き、流出もしくは壊倒した建物のほとんどは撤去され、瓦礫などは一箇所に集められ、小山となった場所では重機やダンプカーが盛んに動いて、瓦礫を選別しながら運び出している光景が見られました。
 住居があったと思われる地域では土台だけが残り、あるいは土台さえもなく荒涼とした広場が続くような地域もありました。 南三陸町では急ごしらえのガソリンスタンドやバスを利用したラーメン店がありましたが、ほとんどが作業車や労働者たちが利用するもので、住居がないのですから当然ですが住民の姿を見かけることは全くありませんでした。 何もない所に立つと、ここに住んでいた人たちはどこへ行ったのだろうと、寂寥感あるいは震撼さえじわじわ湧いて来る思いを抑えることができませんでした。
 地域によっては、修理して使えるであろう建物にブルーシートやベニヤ板で応急措置がされているようでしたが、数としては大変少ないように思えました。 また屋根や壁が綺麗になっている家屋が多く見えましたので、軽い被害の建物の修理はかなり進んでいるのでしょう。
 仙台から南三陸町方面へ三陸自動車道を利用しましたが、道路の左と右では田畑の復旧度合いがだいぶ異なっているようで、海水が押し寄せた地域では塩害でしょう全く手付かずのままで雑草だけが伸びているようでした。
 福島原発事故による放射能禍については、亘理地域で聞いただけで、他の地域ではそれほど問題にはなっていないようです。 でも、今日届いたメーリングリストの中に、「福島県郡山市、とんでもない放射線量の中で遊ぶ子供達」という記事がありました。
 行政も、一般市民も放射能禍について問題を先送りしている姿が具間見えています。 国や県が安全だと言っているから問題ないのだと理解するのは大変危険ですし、将来、家族に被爆による発病があった場合に苦しむのは本人であり家族であって、政治家も行政担当者も救ってはくれないのです。
 最後に、1年前に石巻への支援に家内が訪ねた時に写した写真を載せておきますが、これを見るだけでも瓦礫の整理が進んで来たことがわかります。 ただ、被災地を支援するのだと全国に瓦礫を運んで処理していますが、まず地震・津波によって生じた瓦礫処理と被爆しているであろう瓦礫処理を明確に区分する必要があろうと思います。 また、瓦礫処理を全国にばら撒くのではなく、地元企業を優先して行うべきで、その結果処理費用が地元に落ちるし雇用促進にもつながるはずなのです。
 国が大手ゼネコンへ一括発注して、ゼネコンと被災地域でない場所の産廃処理業者を儲けさせるのは、運搬費がかかることも含め、本末転倒のようにも思えます。


2012年5月13日日曜日

津波被災地へ本を送る活動に参加

 先週の8日から仙台へ向かい、3.11の地震および津波に被災した地域の図書館や仮設住宅を回り、本を送る活動に参加して来ました。 ただ本を置くだけでなく、講談や一人語り、朗読などのイベントも開催し、窮屈な仮設住宅に住む被災者に一服の清涼剤になればと企画されたものでした。
 書籍の配布は、仙台駅前で行ったり、支援団体と一緒に仮設住宅を回ったり、事前に受け入れ意思を確認して図書館へ配ったりと、色々な形で行われ、その活動の中で、被災地復旧の現状を確認したり、被災者から体験談や生活状況の話なども聞いてきました。
 はじめ被災地へ行くのは物見遊山のようで被災者の心を傷つけるのではと心配していたのですが、被災して1年を越え、「嘆くより前を見ろ」という意識に変わったのでしょう、意外に皆さん明るいのに驚きました。
 ただ、テレビ報道などは事実を伝えておらず、国や県の救援対策は遅々として進んでいないと、そのことに対しては憤っておられました。
 仙台から上の海岸はリアス式というのでしょうか、海岸線が複雑に入り込んでおり、小さな集落が点在しているようで、外部からの支援や救援がないと取り残されたような心境になってしまうようで、今回は本を配る目的でしたが、個人がそれぞれの気持ちで訪ね、小さな援助でもできれば、被災者にとっては一人ぼっちではないという安心を得るチャンスにもなろうと思いました。 疎外されているという思いが被災者にとっては一番辛いようです。
 防災無線で最後まで避難を放送し続けた職員が亡くなった南三陸町の防災センター前の慰霊碑に黙祷してきました。
 南三陸町の図書館でお会いした山内さんから、若いお母さん向けの料理本が欲しいという言葉がありましたので、仙台から帰ってきて、家内が購入したもので誰でも参考になるような本を選びだして送ろうと思っています。 詳細は聞いておりませんが、もしご不要の本をお持ちの方が送られれば役立つものと思います。(事前に電話で確認された方が良いかもしれません)

 南三陸町教育委員会 南三陸町図書館 山内 広さん
 〒986-0725
 宮城県本吉郡南三陸町志津川字沼田56番地
 電話 0226-46-2670

 次に活動中に撮った写真を掲載しました。
 亘理(わたり)でお会いした焼き鳥移動販売業を営むくまちゃんは、ボランティアであり、焼き鳥屋大将であり、牧師という三足の草鞋を履いた元気で純な方でした。 こういう方を見ると日本にはまだ希望があると思えますが、昨年は放射能禍で、お子さんの顔が黒ずみ、鼻血が止まらなくなり、奥様のご実家に一時避難させたそうで、避難したらすぐに直ったと、放射能禍は確かに起きていたし、今後も起こることを確信したお話をして下さいました。
 EM菌を培養し、当初は被災地の臭い消しに利用したそうですが、現在は塩害に苦しむ田んぼの中和作業をすべく試験されているとのことでした。

南三陸町の図書館は、建物(昔裁判所であった由緒ある木造建築であったそうです)ごと全て流され、現在は高台にあるベイサイドエリア(町のスポーツセンター?)の玄関スペースを利用して開いていました。 被災者に安念な心を根付かせるような書籍や料理本など役に立つものがあれば助かるとのことのようでした。

南三陸町戸倉の仮設住宅は高台の狭い場所にありました。 自分の船で沖へ一番遅くに避難して、一番早く陸に上がってきたという松岡さんの笑顔に救われた思いがしました。 肝っ玉母さんのような奥様も集会所の片隅で内職に励んでおられました。

戸倉小学校講堂は竣工式を待つばかりの時に災害にあったそうです。 防災センター前には慰霊の品々が置かれていましたが、これを見るだけでも悲しさがこみ上げてくるものでした。 志津川病院の建物でしょうか、二階部分にいまだ漁船が残っていました。

女川町の被災者は、東北電力の女川原子力発電所に退避し大変お世話になったそうで、足を向けては寝られないと仰っていました。 我々はついつい電力会社全てを黒一色に見てしまいがちですが、もっと冷静に判断しなければと自戒したお話でした。 全校児童の7割が死亡・行方不明となった大川小学校、そして津波前の町の様子を伝える写真を見ました。

最終日、地元教会の婦人会の方々が準備されたご馳走をいただき、まだ回りきれていないと思った参加者はさらに別の被災地へと出かけ、本を送る活動は終了し我々は帰途につきました。