先週の8日から仙台へ向かい、3.11の地震および津波に被災した地域の図書館や仮設住宅を回り、本を送る活動に参加して来ました。 ただ本を置くだけでなく、講談や一人語り、朗読などのイベントも開催し、窮屈な仮設住宅に住む被災者に一服の清涼剤になればと企画されたものでした。
書籍の配布は、仙台駅前で行ったり、支援団体と一緒に仮設住宅を回ったり、事前に受け入れ意思を確認して図書館へ配ったりと、色々な形で行われ、その活動の中で、被災地復旧の現状を確認したり、被災者から体験談や生活状況の話なども聞いてきました。
はじめ被災地へ行くのは物見遊山のようで被災者の心を傷つけるのではと心配していたのですが、被災して1年を越え、「嘆くより前を見ろ」という意識に変わったのでしょう、意外に皆さん明るいのに驚きました。
ただ、テレビ報道などは事実を伝えておらず、国や県の救援対策は遅々として進んでいないと、そのことに対しては憤っておられました。
仙台から上の海岸はリアス式というのでしょうか、海岸線が複雑に入り込んでおり、小さな集落が点在しているようで、外部からの支援や救援がないと取り残されたような心境になってしまうようで、今回は本を配る目的でしたが、個人がそれぞれの気持ちで訪ね、小さな援助でもできれば、被災者にとっては一人ぼっちではないという安心を得るチャンスにもなろうと思いました。 疎外されているという思いが被災者にとっては一番辛いようです。
防災無線で最後まで避難を放送し続けた職員が亡くなった南三陸町の防災センター前の慰霊碑に黙祷してきました。
南三陸町の図書館でお会いした山内さんから、若いお母さん向けの料理本が欲しいという言葉がありましたので、仙台から帰ってきて、家内が購入したもので誰でも参考になるような本を選びだして送ろうと思っています。 詳細は聞いておりませんが、もしご不要の本をお持ちの方が送られれば役立つものと思います。(事前に電話で確認された方が良いかもしれません)
南三陸町教育委員会 南三陸町図書館 山内 広さん
〒986-0725
宮城県本吉郡南三陸町志津川字沼田56番地
電話 0226-46-2670
次に活動中に撮った写真を掲載しました。
亘理(わたり)でお会いした焼き鳥移動販売業を営む
くまちゃんは、ボランティアであり、焼き鳥屋大将であり、牧師という三足の草鞋を履いた元気で純な方でした。 こういう方を見ると日本にはまだ希望があると思えますが、昨年は放射能禍で、お子さんの顔が黒ずみ、鼻血が止まらなくなり、奥様のご実家に一時避難させたそうで、避難したらすぐに直ったと、放射能禍は確かに起きていたし、今後も起こることを確信したお話をして下さいました。
EM菌を培養し、当初は被災地の臭い消しに利用したそうですが、現在は塩害に苦しむ田んぼの中和作業をすべく試験されているとのことでした。
南三陸町の図書館は、建物(昔裁判所であった由緒ある木造建築であったそうです)ごと全て流され、現在は高台にある
ベイサイドエリア(町のスポーツセンター?)の玄関スペースを利用して開いていました。 被災者に安念な心を根付かせるような書籍や料理本など役に立つものがあれば助かるとのことのようでした。
南三陸町戸倉の仮設住宅は高台の狭い場所にありました。 自分の船で沖へ一番遅くに避難して、一番早く陸に上がってきたという松岡さんの笑顔に救われた思いがしました。 肝っ玉母さんのような奥様も集会所の片隅で内職に励んでおられました。
戸倉小学校講堂は竣工式を待つばかりの時に災害にあったそうです。 防災センター前には慰霊の品々が置かれていましたが、これを見るだけでも悲しさがこみ上げてくるものでした。 志津川病院の建物でしょうか、二階部分にいまだ漁船が残っていました。
女川町の被災者は、東北電力の女川原子力発電所に退避し大変お世話になったそうで、足を向けては寝られないと仰っていました。 我々はついつい電力会社全てを黒一色に見てしまいがちですが、もっと冷静に判断しなければと自戒したお話でした。 全校児童の7割が死亡・行方不明となった
大川小学校、そして津波前の町の様子を伝える写真を見ました。
最終日、地元教会の婦人会の方々が準備されたご馳走をいただき、まだ回りきれていないと思った参加者はさらに別の被災地へと出かけ、本を送る活動は終了し我々は帰途につきました。