我が家の畑のブルーベリーの花が少し開きはじめています。 また、隅にはワラビが見え隠れしだし、山独活も少し伸びて来ているようです。
さて、二住居生活をしていると、もう一方の生活をおろそかにしておくわけにもいかず、今日は黒姫は離れて主住地へ戻ります。 これからワラビやタケノコ、ルバーブの時期になりますし、7月になればブルーベリーの収穫が始まりますが、それまでには間に合わせようと思っています。
5年前に歩いたスペインの巡礼路カミーノの記録ですが、今日は最後の写真を掲載します。 撮り溜めた写真は一杯あるのですが(ノートパソコンのHDに記録したのですが、その分リュックが重くなりました)、数多く掲載しても意味ありませんし、巡礼路の様子が伝わるだけでいいかなと思っています。
このサン・ジャン・ピエド・ポーからの道(フランス道)は、カミーノのメイン路でアルベリゲ(宿)も充実していますので、大変歩きやすいです。 来年、あるいは再来年には、もう一度この道を歩こうかなと考えていますが、それまでにはスペイン経済がもう少し良くなっていてほしいと願っています。
アルフォンソというホテルを出た所であったか?
乗馬の巡礼者に再び会いました。
メリデ辺りから日差しが強くなり、真夏日のようでした。
間もなくモンテドゴソという飛行場に近い所にあるモニュメント
モンテドゴゾの丘
サンチャゴ到着したら、出発時にお会いした日本からのお二人に再会できました。 数日前にすでに到着されていて、大西洋岸のフィニステーレまで歩いてきて、たった今サンチャゴに戻って来たとのことでした。
Santiago de Compostela 到着
夜景
巡礼証明書。 以前はキリスト教信者であるかの問い合わせがあったようですが、今は事務的に発行してくれていたと記憶しています。
サンチャゴをあとにして、フィニステーレまで再び歩きを開始しました。
フィニステーレの海岸。 空の青さ、海の青さ、砂のきめ細かさが素晴らしい終着地でした。
フィニステーレの突端。 巡礼路0km地点で、昔の巡礼者は衣服をここで捨てたそうです(巡礼を終えて汚れ虫がついた衣服を焼いたり捨てたりしたのでしょう)。
夜10時頃の日没。 5月下旬でしたが冷たい風が吹いていました。
岬から戻ってくると、フィニステーレの町中にある教会がライトアップされていました。
日本へ帰る飛行機の出発地はパリでしたので、サンチャゴからパリまで夜行バスを利用しましたが、普通のバス(リクライニングなどの設備なし)で、停まるターミナルはトイレなど汚れたまま。 乗客はどことなく労働者風の人が多くて、24時間のバスはちょっときつかったです。 次回はマドリード発にしようと思ってます。 そういえば、サンチャゴの観光案内所で働いていた日本人女性TA○○さんはまだ居られるのでしょうか? 彼女にも色々お世話になりました。
3 件のコメント:
なつかしいです。5年後、特に去年から体力の衰退を痛感しています。気合がなくなったからでしょうかね。
実に懐かしいですね。 Makさんのようにポーランドまで遡るのは我々には到底無理で、再びフランス道が一番ふさわしいかなと思ってます。
どこかで我々の生命の終わりは来るのだし、その場所が畳の上かベッドの上か、はたまた路上か、人の運命は分かりませんね。 昔の巡礼者のように、カミーノで自分の生命を終わらせるのも、一つの生き方かもしれません。
プロスキーヤー三浦雄一郎さん(確か70歳でエベレスト登頂?)の父上は齢100歳でアルプスを滑ったとか聞きました。 それを思うと、60や70はまだヒヨっ子かもしれませんヨ。
Haha. I woke up down today. Youツ致e chereed me up!
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