昨日は、古の学び舎が建替になり壊されるとのことで、半世紀も昔の教室を眼に焼き付けておきたいと誘いがあり出かけて来ました。 中には卒業後初めて会う同級生もいて、昔の面影が思い出されない仲間もいましたし、誰もが体型は丸く頭も白く薄くなっていました。 たぶん逆にこちらを見て、同じような印象を持った人もいたことでしょう。
我々が入学した時は新しい建物で、何もかも新しいものでしたが、やはり半世紀も経つと損傷が激しく、また耐震用に加えられたむき出しの鉄骨が脆さを過分に表していて、これでは素人であっても建替の必要性が感じられるものでした。 建て替え工事は3年間にもわたるそうで、向こう100年に耐えられる学び舎を創るそうです。
我々を教えて下さった先生方はとうに退職されており鬼籍に入られた方もおるでしょうし、また現在の職員方に話しても昔の先生のことは分かりません。 彼らにとって我々は、異星から何十年ごしに飛んできた人物であったかもしれません。
今年の新入生は50数期生でしょうか、いまや有名大学への進学率ではかなりの上位にあるらしく、それだけを聞くだけでも異星から来たような気分になりました。 我々の後に続いた後輩は、政治家や官僚、はたまた大企業の重鎮になっている人もいるでしょうが、今の日本の高級官僚や政治家、また東電の経営者のように、市民の安全や幸福などを顧みない人物を生む機関の一つになっているとしたら、それは非常に残念なことです。 母校の名声が高まることは嬉しいのですが、ちょっと複雑な気持ちでした。
受験のための勉強一筋の中高生時代もいいのでしょうが、どうも自分たちの家庭では納得できず、ここを息子たちの学び舎とする気持ちはありませんでした。 息子たちはそれぞれの判断と意思で、受験戦争の波に揉まれない中高を選びましたが、その学校もいまや受験戦争の渦中にある学校になってしまったらしく、親子二代の学び舎はともに社会のどうにもならない渦に巻き込まれてしまっているようです。
先日、遠藤周作展の時に歩いた山手通りを歩き、フェリス女学院の横から元町商店街の方へと坂を下りましたが、路地というのか狭いこの道を歩くのは初めてでした。 百段坂という長い階段が昔はあったそうです。 坂を降りると代官坂に出ましたが、確かクリフサイドというダンスホールがあった場所だと記憶がありました。
最終地点は中華街の一角でしたが、半世紀振りに会うと、懐かしさの反面、皆それぞれの複雑な人生があったようです。 でも、昔の自分を思い出すためにも、次回の同級会にも出てみたい気持ちになりました。
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