この所、来客があったり野菜や果物の買出しでまとまった時間がなく、はたまた涼しい黒姫にいて夏バテでしょうか、ブログ記事を書く気にもなれずに過ごしていました。 この間の15日の敗戦記念日についても何か書かなければと思う気持ちがある反面、乱文を世に晒すのも慮られるし、また不毛な論争をぶっつけられるようなコメントに出会いたいとも思えず時間のみが経過していました。
ただ、かつての戦争についてつぶやいた長万部町のツイッターに苦情が殺到したというニュースには、相変わらず過去の歴史がきちんと理解されていないという証左を見た思いがしました。 どんな美辞麗句を述べようと、欧米の列強に後れを取られまいと、日本軍がアジア大陸に侵略したのがかつての戦争であったわけで、戦争になれば奇麗事などは一切ありません。 殺人や略奪、婦女暴行などは当たり前で、軍による強制的な従軍慰安活動などもあったとするのが順当な思考でしょう。 長野県からも多くの青少年が満蒙開拓団に送られたそうですが、彼らは関東軍の予備軍としての役割を担い、実際の開拓作業に従事せず軍事教練や現地住民への略奪ばかりをしていたとのことです。 そういった事実を見ずに、東アジアを列国から守るための聖戦であったと一方的に思考するのは全くの誤りであり、かつての日本人が尊んだ「恥の文化」を覆い隠す、それこそ「恥の上塗り」となる思考だと思います。 戦後の日本が諸外国と外交的にもまともに渡り合えず、日本が理解されて来なかったのは、そういう自国の歴史認識に原因の一つがあるのです。 北方領土や竹島など領土問題を声高に叫んでいる人達は日本国内だけの言動なのです。 「井の中の蛙」であってはならず、感情論ではなくきちんとした論理を展開して、相手国へ行って問うべきなのです。 そこまでしなければソビエトにも韓国にも中国にも理解されないでしょう。
日本が起こした戦争への理解がどちらにあっても、地球上の生命が脅かされ、意味のない殺戮が再び日本人の手によって繰り返されてはならないことは自明の理であり、皆が真剣に考えていかなければならない問題です。 チェルノブイリや福島原発の事故に見られるような、放射能汚染による生命の危機についても同様です。 国民の生命を守ることを第一に考えない国の政策に対しては、全国民が「NO」と発し続けるべきです。
○山本太郎、福島の子どもたちとともに内閣府、文科省、保安院の役人と対峙
8月15日は、先の大戦で日本軍が負けた敗戦記念日ですが、キリスト教会(主にカトリック系)ではイエスキリストの母であるマリアが天に昇った顕彰する日とし、特に日本では広島長崎の原爆被害を思い起こし平和を願うため、8月6日から15日まで「平和旬間」として「平和の祈り」を捧げています。 プロテスタント系派ではマリアに対する特別な信仰も思いもないので、この時期そういった動きはないようです。
・神のみ旨を受け入れ、主イエスとともに生涯を歩んだマリアにならい、私たちも信頼と喜びのうちに神に仕えることができますように。
・終戦記念日のきょう、戦争によってもたらされた犠牲と悲しみの深さを思い、世界平和への決意を一つにすることができますように。
・聖母の被昇天によって、み国への希望に支えられるわたしたちが、天に旅立ったすべての人とのきずなをあらたにすることができますように。
日本人にとっての8月15日は、先祖の霊が帰るお盆であり、かつての戦争を考える日であり、平和を希求するという、大事な日なのです。
そのような日に当たり、野尻湖畔にあるサレジオ山荘に、福島原発から避難している子供たちがキャンプに来ていることを知りました。 子供たちの救援活動をされている四日市の団体と教会とが連携をとって野外キャンプを楽しんでもらおうと実現したとのことでした。
そんなことを知って、家内は信濃町のブルーベリーを入れたマフィンを焼いて届け、さらに翌日にはドーナツを焼き、直売所で購入した桃などを届けに向かったのですが、午前中に四日市へ発たれたとのことで行き違いになってしまいました。 どちらにしてもサレジオ山荘には同時にいくつかのグループが来ており、贈り物は十分に喜んでいただけたことでしょう。
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