いよいよ8月になりました。 今朝5時過ぎの黒姫山に久しぶりに朝日が当たって、新緑のような綺麗な緑が見えていました。
8月は何といっても、広島長崎に落とされた原子爆弾による犠牲者への慰霊、そして先の大戦を教訓に日本が2度と(侵略)戦争をしないという決意を確認し、永久平和を願う月となっています。
平和記念式典には、総理大臣はじめ各界のお偉方が出席し挨拶しますが、いつも形式的に犠牲者を慰霊し平和を願うという内容の言葉が述べられますが、何か上滑りしているような空虚な思いを感じます。 これまでは広島市の秋葉元市長の挨拶が非常に格調高いものでしたが、新しい市長はどんな挨拶をされるのでしょうか?
さて、信濃町の荒瀬原・柴津という地区には称名寺という小さなお寺さんがあります。 檀家を持たず、墓苑も数少ないお寺ですが、本堂の脇に立つ鐘楼には、石(の鐘)が吊り下がっています。 先の大戦の際に、大砲や鉄砲など武器を作るために、各戸にある鍋や釜など金属類を政府(軍)に強制的に供出させられたわけですが、お寺さんも例外ではなく梵鐘を供出したとのことです。 梵鐘がなくなった鐘楼は4本の柱で立つ建物で、強風で屋根が飛ばされてはいけないと巨石をぶら下げることになったそうです。 戦争はそのまま終わり、梵鐘は返ることもなく、そのまま時代を経てきたわけですが、3年前にこの「石の鐘」をテーマに平和を語るドキュメンタリー映画「夕焼け小焼け」が製作されました。 全国で、この映画を見た人々が、「石の鐘」の実像に触れたいと、その後たびたび全国から訪れて来て、住職から当時の話を聞かれています。
昨年、沖縄からの平和行進に参加した時、個人宅や教会、寺院など色々な場所に泊めていただいたのですが、自己紹介やミーティングなどで、称名寺のこの「石の鐘」の話をすると、「その映画見たよ」とか「称名寺を訪ねて住職にも会ったよ」という話が何度も聞かされました。
この8月は、(終戦記念日と言わず、あえて)敗戦記念を認識し合う月として、再び来られる方々が多くなると思われます。 全国にこのような物の存在があるのか分かりませんが、
「石の鐘」は平和希求への象徴
となっており、いまや平和を願う全国から来られる人々の財産となっているのです。
ところが、称名寺への行き方が分からないのです。 まあ、団体で行かれる方は事前に地図を準備されるでしょうが、飯山道からの最後の入口を見つけるのが難しいと思われます。 私も慣れるまで何回も通り過ぎていました。
この称名寺には、樹齢200年を越えているであろうと思われる、立派な枝垂桜が毎春美しい花を咲かせています。 町が手を入れてきた原の閑貞桜はとうとう枯死してしまい、信濃町で残る歴史的な枝垂桜は、この称名寺の桜しかありません。 今春も、道の駅に写真が貼ってあったので、観に来たという県外からのお客さんがいました。
「石の鐘」も「枝垂桜」も、信濃町の貴重な財産であり、これを広く知らしめることで、観光促進の担い手にもなることでしょう。 町外から観光で来られるお客さんを大事にするという意味でも、この行先案内板の設置は大事なことだと思います。
私は、信濃町役場や観光関係に知己がおらず、どなたにお話して良いか分かりません。 町内の方で、もしこの記事をご覧になられたら、関係者への具申をぜひお願いしたいと思います。
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