塩狩峠記念館(三浦商店)の二階の居間が、三浦綾子さんが「氷点」を書かれた部屋だそうで、当時のテーブルやゴミ入れ、本棚などが、一部は移動したようですがそのまま置いてありました。
「氷点」の懸賞は1千万円でしたが、450万円が税金支払となり、残額は教会への寄付や入院費用などの立替に使われたと光世さんから説明があり、一切自分のために使わなかったそうです。 綾子さんはテレビがほしいと望まれたそうですが、光世さんが自分たちのために使ってはいけないとおっしゃり、綾子さんはそれに従ったとのことでした。 この辺りの話しは森下先生からうかがいました。
氷点と同様に、塩狩峠も映画化されたようです。 新克利、佐藤オリエ、滝田裕介など懐かしい俳優の名前がありました。
線路脇に長野政雄さんの記念碑がありました。 殉職された2月28日には、ここでロウソクの火が灯され慰霊の会が催されているようです。 坂本龍馬の甥である坂本直寛は高知でキリスト教の洗礼を受け旭川に伝道に来て、長野政雄とも親交があったと説明を受けました。
名寄方向へ1kmほどでしょうか下った所が鉄道事故の現場のようです。
塩狩峠をあとにして上川町に立ち寄り、ここで二手に分かれて地元の食堂に入り、昼食にラーメンをいただきました。 豚骨ベースですがしつっこさがなく海産物の香りがして、前日旭川市内で食べたラーメンより素朴ですが美味しかったです。
昼食後は層雲峡を訪ねました。 確か中学三年の修学旅行で来ましたので、半世紀ぶりに訪ねたことになります。 ロープウエイで黒岳展望台へ上がりましたが、まだ紅葉の時期には早かったものの、雄大な北海の峰々を眺望することが出来ました。 でもけっこう風が強くて、風が一定の強さ以上になるとゴンドラは止まり弱まるのを待つのでした。 あまりいい気持ちがしませんでした。
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